コミュニケーション・ラボラトリーの公式ブログです。イベントの告知のほか、いままで書き溜め、Mixiなどで公開していた文章なども公開していきます。
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僕が卒業した高校には「他人の不幸の上に自分の幸福を築くということをしない」と言う指針があります。商業的な風潮の強い現代社会において、弱いものを搾取して経済的・社会的な成功を遂げることは正当化され、幸福のひとつの形だと認識されていたりする。
経済の循環を考えれば、自分が必要以上に儲ければその分誰かが貧しさに憂えるということ当然なはずなのに、それが無視され、また仕方ないことのよ うに捉えられている気もする。弱肉強食といって人々を勝ち組・負け組に振り分け、敗北は才能や努力の欠如だと非難されてしまう。社会の構造自体が「誰かの 不幸の上にしか自分と家族の幸福を保証できない」ように築き上げられてしまっているのだと思う。それで果たしていいのだろうか、正しいんでしょうか。
ぼくはそうは思いません。全ての人が幸福になれないんだとしたら、それは求めている幸福の定義そのものが間違っているのだと思う。
さっき指針に対となる考えは「他人の幸福の上に自分の幸福を築く」というものになります。これは人に奉仕し、その人の幸福に貢献するなかで、僕た ちは幸福を共有することができ、さらに増幅することさえもできるということなのだと思う。難しく言ったが、要は誰かが笑ってくれれば自分も嬉しいというこ との延長なのじゃないかな。
僕は、人の幸福についてこの二つの考え方で十分だと思っていました。でも最近になってもうひとつ見方があるのじゃないかと思ってきたのです。前々から思っていたこのことを文章として書くきっかけを与えてくれたのは灰谷健次郎著の「太陽の子」を読んでからのこと。
僕は灰谷作品のファンでほとんどの作品・エッセイを読んでいるのに、なぜか「太陽の子」だけは買ってあったのに読まずにいました。今回時間を見つけて読むことにして、やっぱりほかの作品と同じように、いやそれ以上に胸を突かれた思いに駆られました
特に僕にこの文章を書こうと決めさせてくれたのはキヨシ君の主人公ふうちゃんへの手紙です。キヨシ君というのは沖縄本島出身の子で、親に捨てら れ、やってきた神戸でいじめられ、姉には自殺され、チンピラのような生活をしていた中学生ぐらいの少年だ。そのキヨシ君の荒んだ心はふうちゃんの家が経営 する沖縄料理屋「でだのふあ・おきなわ亭」に来て、ふうちゃんとふうちゃんを囲む沖縄を愛する人々に接する中で優しい気持ちを取り戻していく。そうした感 謝の気持ちをキヨシ君がつづった手紙が次に様な内容なのでした。
「・・・沖縄に生まれたことをこうかいして、他人ばっかり(他人どころかかあちゃんまで)うらんどったおれは、人間のカスやった。けど、ふうちゃ ん。おれはもうカスとちがうでぇ。おれは沖縄の子やで。おれも『てだのふあ』や。そうおもたら、おれ、つらかったけど、うれしかったんや。おれは今まで自 分が不幸やとおもとったけど、今はそうおもわへん。幸福いうたらおおかたは不幸をふみ台にしてあるもんやとおもたら、なんやあほくさくなって笑えてき た。(中略)ふうちゃん、おれの生まれた家は、今、アメリカの基地の飛行場の下やて。とうちゃんの人生もかあちゃんの人生も基地のためにめちゃくちゃにさ れてしもた。アメリカの基地は日本を守るためにあるそうやから、おれの家の不幸をふみ台にして日本人は幸福に暮らしとるわけや。ええ気なもんや。そんな幸 福どこかまちごうとる。そうおもわへんか、ふうちゃん。・・・」
ふうちゃんのおとうさんは沖縄でマラリアで親族みんなが死に、そのあと本島で米軍の銃撃から逃げ回った経験から心の病にかかってしまった。片腕の ないろくさんは戦争中に、米兵に居場所がばれないよう日本兵から渡された手榴弾で腕ごと自分の子どもを殺させられた。キヨシ君の母は米兵にレイプされて子 どもを身ごもってしまった。
たくさんの人が戦争を通じて不幸になった。でもふうちゃんはそんな悲しみを受け止めながら、「そんなにも苦しいことをもっともっと苦しいことをご まかさずに受け止めず、じっと見つづけてきた沖縄の人はえらい人たち」だと感じたのです。「沖縄の人がすべての命を大切にするのは、これまでたくさんの悲 しい別れをしてきたからなのだ」といったのです。
灰谷さんは小学校6年生のふうちゃんに、中学生ぐらいのキヨシ君になんて深い言葉を代弁させるのでしょうか。この「太陽の子」を読んで確信を深めたもう幸福へのひとつの見方、それは「自分の不幸の上に自分の幸福を築く」ということです。
誰もが生まれながらに幸福なわけじゃない。貧乏、病気、大切な人との死に別れ、生き別れ、不和、戦争、そして暴力。いろんなこと絡み合ってが人生で人を不 幸にするかもしれない。でもそれを運命だと受け入れるのか、仕方ないとあきらめるのか。もしそうなら悲しすぎる。僕たちは不幸になるために生まれてきたわ けじゃない。なら、人生の中の不幸はなんのためなのか。ぼくはそれを幸福への試練と呼びたい。悲しみを乗り越えたから得られる慈しみの心がある。苦しみを 経験したから理解できる他人の気持ちがある。辛さを感じ続けたから癒せる誰かの傷がある。そうして僕たちはひとつ大きな幸福を得ていくのだと思う。
誰がいったかは覚えていないけど、こういう言葉がありました。
「幸福な人は皆一様に幸福で、不幸な人は人それぞれに不幸である」と。
人が不幸になる理由はさまざまなのに、幸福な人が幸福である様は、大体似ているという思いから来ているのだと思う。経済的に余裕もあり、家族が全 員健康で、一家仲良く、団欒のある家庭。みなが思い描く幸せな家庭像は大して変わらないという意味では、的を得ているのかもしれない。
だけど僕はあえて違った言い方をしたい。「人はそれぞれに不幸になるから、幸福へのなり方も、またさまざまである」と。あらゆる不幸は、その人が 本当に幸福になるための試練を与えてくれる。その人にしか得られないかけがえのない幸福を与えてくれる。「自分の不幸の上に、自分の幸福を築く」というの は単なる言葉ではない。今、不幸な自分に対して、絶対に今を乗り越えて自分にしかない幸福を手にいれようという決意なんだと思う。不幸は人生の結論では決 してない。人生の不幸は「幸福への現在進行形」なんじゃないかな。だからどんなに辛いことがあっても、悲しいことがあっても、苦しいことがあっても、絶対 そこで立ち止まっちゃいけないんだとおもう。
もちろん、僕は戦争を肯定するわけじゃない、暴力を認めるわけじゃない。結果として人を成長させたとしても、悲惨はおきるべきではない。過去に戻って取り 消せるなら、そうするし、絶対に未来で繰り返してはいけない。むしろそのために私たちは過去の悲惨を学ばねばならない。そして過去の悲惨を乗り越えなくて はならない。沖縄の人たちがそうするように。
経済の循環を考えれば、自分が必要以上に儲ければその分誰かが貧しさに憂えるということ当然なはずなのに、それが無視され、また仕方ないことのよ うに捉えられている気もする。弱肉強食といって人々を勝ち組・負け組に振り分け、敗北は才能や努力の欠如だと非難されてしまう。社会の構造自体が「誰かの 不幸の上にしか自分と家族の幸福を保証できない」ように築き上げられてしまっているのだと思う。それで果たしていいのだろうか、正しいんでしょうか。
ぼくはそうは思いません。全ての人が幸福になれないんだとしたら、それは求めている幸福の定義そのものが間違っているのだと思う。
さっき指針に対となる考えは「他人の幸福の上に自分の幸福を築く」というものになります。これは人に奉仕し、その人の幸福に貢献するなかで、僕た ちは幸福を共有することができ、さらに増幅することさえもできるということなのだと思う。難しく言ったが、要は誰かが笑ってくれれば自分も嬉しいというこ との延長なのじゃないかな。
僕は、人の幸福についてこの二つの考え方で十分だと思っていました。でも最近になってもうひとつ見方があるのじゃないかと思ってきたのです。前々から思っていたこのことを文章として書くきっかけを与えてくれたのは灰谷健次郎著の「太陽の子」を読んでからのこと。
僕は灰谷作品のファンでほとんどの作品・エッセイを読んでいるのに、なぜか「太陽の子」だけは買ってあったのに読まずにいました。今回時間を見つけて読むことにして、やっぱりほかの作品と同じように、いやそれ以上に胸を突かれた思いに駆られました
特に僕にこの文章を書こうと決めさせてくれたのはキヨシ君の主人公ふうちゃんへの手紙です。キヨシ君というのは沖縄本島出身の子で、親に捨てら れ、やってきた神戸でいじめられ、姉には自殺され、チンピラのような生活をしていた中学生ぐらいの少年だ。そのキヨシ君の荒んだ心はふうちゃんの家が経営 する沖縄料理屋「でだのふあ・おきなわ亭」に来て、ふうちゃんとふうちゃんを囲む沖縄を愛する人々に接する中で優しい気持ちを取り戻していく。そうした感 謝の気持ちをキヨシ君がつづった手紙が次に様な内容なのでした。
「・・・沖縄に生まれたことをこうかいして、他人ばっかり(他人どころかかあちゃんまで)うらんどったおれは、人間のカスやった。けど、ふうちゃ ん。おれはもうカスとちがうでぇ。おれは沖縄の子やで。おれも『てだのふあ』や。そうおもたら、おれ、つらかったけど、うれしかったんや。おれは今まで自 分が不幸やとおもとったけど、今はそうおもわへん。幸福いうたらおおかたは不幸をふみ台にしてあるもんやとおもたら、なんやあほくさくなって笑えてき た。(中略)ふうちゃん、おれの生まれた家は、今、アメリカの基地の飛行場の下やて。とうちゃんの人生もかあちゃんの人生も基地のためにめちゃくちゃにさ れてしもた。アメリカの基地は日本を守るためにあるそうやから、おれの家の不幸をふみ台にして日本人は幸福に暮らしとるわけや。ええ気なもんや。そんな幸 福どこかまちごうとる。そうおもわへんか、ふうちゃん。・・・」
ふうちゃんのおとうさんは沖縄でマラリアで親族みんなが死に、そのあと本島で米軍の銃撃から逃げ回った経験から心の病にかかってしまった。片腕の ないろくさんは戦争中に、米兵に居場所がばれないよう日本兵から渡された手榴弾で腕ごと自分の子どもを殺させられた。キヨシ君の母は米兵にレイプされて子 どもを身ごもってしまった。
たくさんの人が戦争を通じて不幸になった。でもふうちゃんはそんな悲しみを受け止めながら、「そんなにも苦しいことをもっともっと苦しいことをご まかさずに受け止めず、じっと見つづけてきた沖縄の人はえらい人たち」だと感じたのです。「沖縄の人がすべての命を大切にするのは、これまでたくさんの悲 しい別れをしてきたからなのだ」といったのです。
灰谷さんは小学校6年生のふうちゃんに、中学生ぐらいのキヨシ君になんて深い言葉を代弁させるのでしょうか。この「太陽の子」を読んで確信を深めたもう幸福へのひとつの見方、それは「自分の不幸の上に自分の幸福を築く」ということです。
誰もが生まれながらに幸福なわけじゃない。貧乏、病気、大切な人との死に別れ、生き別れ、不和、戦争、そして暴力。いろんなこと絡み合ってが人生で人を不 幸にするかもしれない。でもそれを運命だと受け入れるのか、仕方ないとあきらめるのか。もしそうなら悲しすぎる。僕たちは不幸になるために生まれてきたわ けじゃない。なら、人生の中の不幸はなんのためなのか。ぼくはそれを幸福への試練と呼びたい。悲しみを乗り越えたから得られる慈しみの心がある。苦しみを 経験したから理解できる他人の気持ちがある。辛さを感じ続けたから癒せる誰かの傷がある。そうして僕たちはひとつ大きな幸福を得ていくのだと思う。
誰がいったかは覚えていないけど、こういう言葉がありました。
「幸福な人は皆一様に幸福で、不幸な人は人それぞれに不幸である」と。
人が不幸になる理由はさまざまなのに、幸福な人が幸福である様は、大体似ているという思いから来ているのだと思う。経済的に余裕もあり、家族が全 員健康で、一家仲良く、団欒のある家庭。みなが思い描く幸せな家庭像は大して変わらないという意味では、的を得ているのかもしれない。
だけど僕はあえて違った言い方をしたい。「人はそれぞれに不幸になるから、幸福へのなり方も、またさまざまである」と。あらゆる不幸は、その人が 本当に幸福になるための試練を与えてくれる。その人にしか得られないかけがえのない幸福を与えてくれる。「自分の不幸の上に、自分の幸福を築く」というの は単なる言葉ではない。今、不幸な自分に対して、絶対に今を乗り越えて自分にしかない幸福を手にいれようという決意なんだと思う。不幸は人生の結論では決 してない。人生の不幸は「幸福への現在進行形」なんじゃないかな。だからどんなに辛いことがあっても、悲しいことがあっても、苦しいことがあっても、絶対 そこで立ち止まっちゃいけないんだとおもう。
もちろん、僕は戦争を肯定するわけじゃない、暴力を認めるわけじゃない。結果として人を成長させたとしても、悲惨はおきるべきではない。過去に戻って取り 消せるなら、そうするし、絶対に未来で繰り返してはいけない。むしろそのために私たちは過去の悲惨を学ばねばならない。そして過去の悲惨を乗り越えなくて はならない。沖縄の人たちがそうするように。
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プロフィール
HN:
Junya Tanaka
性別:
男性
職業:
NGOスタッフ/参加型の場づくり研究・実践家
自己紹介:
青山学院大学の社会人大学院社会情報学研究科ヒューマンイノベーションコースで参加型の場づくり、ワークショップデザイン、ファシリテーションなどについて研究をしながら、震災関連の仕事をしています。
2007年5月南カルフォルニア・オレンジ郡にある4年制教養大学を卒業しました。その後にすぐにイギリスの大学院に行くつもりが、もろもろの事情でいかないことにし、日本に帰国しました。なぜかいまだに日本にいます。人生思ったようにはならないです(笑)
後悔はしていませんが、試行錯誤です。
2011年5月にまたまた転職しました。震災関連の仕事をするためにアメリカ系のNGOで働き始めました。
また休日や平日の夜にはイベントや会議や参加型のプロセスのデザインやコーディネートをやったり、さまざまな研修や会議のお手伝いをしてます。ご関心があればお声掛けください。こういう研修ってふつう結構高いので、学生が参加できる金額でやれたらなと思っています(参加費応相談)
◇参加型ファシリテーション入門編ワークショップ
◇傾聴力ワークショップ
◇アイスブレーキング体験学習ワークショップ
◇開発と気候変動を考える参加型ワークショップ
<現在企画中>
▽発問力ワークショップ
▽ワークショップデザインコース
2007年5月南カルフォルニア・オレンジ郡にある4年制教養大学を卒業しました。その後にすぐにイギリスの大学院に行くつもりが、もろもろの事情でいかないことにし、日本に帰国しました。なぜかいまだに日本にいます。人生思ったようにはならないです(笑)
後悔はしていませんが、試行錯誤です。
2011年5月にまたまた転職しました。震災関連の仕事をするためにアメリカ系のNGOで働き始めました。
また休日や平日の夜にはイベントや会議や参加型のプロセスのデザインやコーディネートをやったり、さまざまな研修や会議のお手伝いをしてます。ご関心があればお声掛けください。こういう研修ってふつう結構高いので、学生が参加できる金額でやれたらなと思っています(参加費応相談)
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