コミュニケーション・ラボラトリーの公式ブログです。イベントの告知のほか、いままで書き溜め、Mixiなどで公開していた文章なども公開していきます。
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※注(この文章はかなり長いです。自分にとっての記録として書いた部分が大きいし、あんまり僕という人間に興味がないのであれば、無理して読むことはない かもしれません。ただ読みきっていただけたなら、「読んだよ」ってリアクションもらえると、ふらっと来て読まずに帰った人と区別がつくのでありがたいで す。)
イチローが今日、メジャーリーグでタイ記録となる8年連続シーズン200本安打を達成しました。
野球のことあまり知らない人にとっても、同じ8年連続の記録を持つのが100年以上前の選手で、しかも今よりもルールが打者にとって有利であったと聞けば、どれほどすごい記録なのか、なんとなくは伝わるかもしれない。
僕にとってイチローとは、もっとも尊敬するアスリートであるとともに、人間「イチロー」として尊敬し、惹かれるものがある。スポーツマンではない自分にとっては、野球選手としての記録や偉業よりも、それを支える彼の人間性と生き方から学ぶものが大きい。
僕がイチローをスポーツ選手ではなく、人間として追うようになったのは糸井重里さんの「ほぼ日刊1101新聞」でのイチローと糸井さんのインタビュー対談がきっかけだった。
http:// www.110 1.com/i chiro/2 004-03- 23.html
もう4年半も前のこと。2004年の3月。僕は当時大学1年で、ある悩みにぶつかっていたときだった。それは自分にとってそれまで生きてきた19年間を覆すような悩みであって、一番苦しい時期でもあった。
そんな僕を救ってくれた、というか、ある「気づき」を与えてくれたのが、イチローの
「第三者の評価を意識した
生き方はしたくない。
自分が納得した生き方をしたい」
という一言だった。
衝撃が体を電流のように走った。それはまさしく自分が悩んでいたことだったから。
自分が選んできた人生の岐路において「人からどう見られるか」「人からどう評価されるのか」ばかりを気にして生きてきたんじゃないかと悩んでいた。自分で自分自身を評価することができずに、他人や社会からの評価で補っていた。じゃあ自分って?自分が本当にしたいことって?
イチローが歩んできた人生と僕の人生はまったく違う。エースピッチャーとして甲子園にも出たイチローは、そのバッティングセンスを買われて高卒 後、ドラフトでオリックスに入った。しかし彼独特のバッティングフォームを2軍で認めてもらえずに、1軍に定着しなかった。そこを彼の恩師でもある故仰木 監督に見初められ、バッティングフォームを変えなくてもいいと支持され、94年にそのバッティングフォームのまま一軍入り。そして日本プロ野球初のシーズ ン200本安打を達成した。彼はまだ21歳だった。
当時から、自分なりに信じれるやり方を追求し、周りからどう評価されようともそれを貫いた。自分が追求するものを正しく評価してくれる人に出会い、彼は世にも評価される実績を残した。
しかしそのとき、世間から評価されることで「ちょっと舞い上が」り、「自分を見失って」しまっていたと、イチローは後から振り返る。そして彼は自 分の感覚が掴めないまま、それでも世間的には評価されてしまう成績を残し、どんどんと自分を見失い、人には見えない「スランプ」に陥っていった。そのとき の彼が、あのころの自分と被るように思えた。
大学に入るまで、自分で自分を評価できなかった僕は、努力によって人から評価されるだけの「何か」を生み出そうとしていた。そしてそれはある程度成功していたのだと思う。だから問題を感じていなかったし、疑問も持たなかった。
努力をしてがんばったことが、みんなからも認められ、もっとがんばろうと思う。
それは一見至極当然のことで、そしてその渦中にいる自分に誰かが何かを言うわけではなかった。だからそれまで気がつけなかったのだと思う。自分の本質について。
大学に入って、ある程度努力したくらいじゃ、評価されなくなった。周りが自分以上に優秀だったし、求められているものも今までよりも格段に高く なった。そうなることで今まで気が付かなかった、自分の汚いところが見えてくるようになった。評価されている人への妬みや嫉み。頭では彼や彼女が自分より も努力をしていて、それだけの評価を受けているんだとわかっていた。でも心からそれを祝福できない、ちっぽけな自分がいた。
どんなにやりきったと思える論文でも、教授からの評価に臆病な自分がいた。
それとは逆に、中途半端だと思える内容でも、Aをもらって安穏としてしまう自分もいた。
イチローは
「自分がやっていること自体よりも、
世の中の人に評価をされることを
望んでいた自分がいた」
と言う。彼がそのまま世間の評価に踊らされ、評価されているというだけで感覚が掴めないままの自分に安住してしまっていれば、いまの彼はいない。
「評価されるため」の努力では限界がある。
「結果を残すために最大限の努力をする」のと
「最大限の努力をして、それがよい結果を生む」のは似ているようで根本的に違う。
前者は努力の最大限が評価によって頭打ちしてしまうが、後者の努力は自分次第でいくらでも追い求められる。結局人からの評価には不確定な要素が大きいし、環境や状況が変わればたやすく変わってしまう。自分で自分を評価する目があれば、そんなことはない。
もちろん他人からの評価や社会からの評価が、自分を測る基準のひとつであってもかまわないと思う。最終的な判断を下すのが自分自身であれば。
それまで人の目をごまかすことで、自分の目もごまかせているように思っていたけど、それはやっぱり違った。人の目はごまかせても、本当は自分の目はごまかせないのだから。
自分自身を追及していくなかで、結果として世界的に評価を受ける結果を残すイチローの姿は、決して結果を求めてある姿ではなく、客観的に自分を見つめる自分の目を持って、常に自分のスタイルを目指してきた証だ。
彼と僕は生きる場所も目標も違うし、そう簡単に人生が交わることもないだろう。でも彼の生き様、口先だけでない努力、そして哲学は自分にとってひとつのロールモデルとして輝いている。
いつか、もし、この先の長い人生の中で、イチローに出会うことができたとしたら、その時に「あなたのおかげで見失っていた自分を取り戻すことができた」と胸を張って言える、そんな自分でありたいなと思う。
イチローが今日、メジャーリーグでタイ記録となる8年連続シーズン200本安打を達成しました。
野球のことあまり知らない人にとっても、同じ8年連続の記録を持つのが100年以上前の選手で、しかも今よりもルールが打者にとって有利であったと聞けば、どれほどすごい記録なのか、なんとなくは伝わるかもしれない。
僕にとってイチローとは、もっとも尊敬するアスリートであるとともに、人間「イチロー」として尊敬し、惹かれるものがある。スポーツマンではない自分にとっては、野球選手としての記録や偉業よりも、それを支える彼の人間性と生き方から学ぶものが大きい。
僕がイチローをスポーツ選手ではなく、人間として追うようになったのは糸井重里さんの「ほぼ日刊1101新聞」でのイチローと糸井さんのインタビュー対談がきっかけだった。
http://
もう4年半も前のこと。2004年の3月。僕は当時大学1年で、ある悩みにぶつかっていたときだった。それは自分にとってそれまで生きてきた19年間を覆すような悩みであって、一番苦しい時期でもあった。
そんな僕を救ってくれた、というか、ある「気づき」を与えてくれたのが、イチローの
「第三者の評価を意識した
生き方はしたくない。
自分が納得した生き方をしたい」
という一言だった。
衝撃が体を電流のように走った。それはまさしく自分が悩んでいたことだったから。
自分が選んできた人生の岐路において「人からどう見られるか」「人からどう評価されるのか」ばかりを気にして生きてきたんじゃないかと悩んでいた。自分で自分自身を評価することができずに、他人や社会からの評価で補っていた。じゃあ自分って?自分が本当にしたいことって?
イチローが歩んできた人生と僕の人生はまったく違う。エースピッチャーとして甲子園にも出たイチローは、そのバッティングセンスを買われて高卒 後、ドラフトでオリックスに入った。しかし彼独特のバッティングフォームを2軍で認めてもらえずに、1軍に定着しなかった。そこを彼の恩師でもある故仰木 監督に見初められ、バッティングフォームを変えなくてもいいと支持され、94年にそのバッティングフォームのまま一軍入り。そして日本プロ野球初のシーズ ン200本安打を達成した。彼はまだ21歳だった。
当時から、自分なりに信じれるやり方を追求し、周りからどう評価されようともそれを貫いた。自分が追求するものを正しく評価してくれる人に出会い、彼は世にも評価される実績を残した。
しかしそのとき、世間から評価されることで「ちょっと舞い上が」り、「自分を見失って」しまっていたと、イチローは後から振り返る。そして彼は自 分の感覚が掴めないまま、それでも世間的には評価されてしまう成績を残し、どんどんと自分を見失い、人には見えない「スランプ」に陥っていった。そのとき の彼が、あのころの自分と被るように思えた。
大学に入るまで、自分で自分を評価できなかった僕は、努力によって人から評価されるだけの「何か」を生み出そうとしていた。そしてそれはある程度成功していたのだと思う。だから問題を感じていなかったし、疑問も持たなかった。
努力をしてがんばったことが、みんなからも認められ、もっとがんばろうと思う。
それは一見至極当然のことで、そしてその渦中にいる自分に誰かが何かを言うわけではなかった。だからそれまで気がつけなかったのだと思う。自分の本質について。
大学に入って、ある程度努力したくらいじゃ、評価されなくなった。周りが自分以上に優秀だったし、求められているものも今までよりも格段に高く なった。そうなることで今まで気が付かなかった、自分の汚いところが見えてくるようになった。評価されている人への妬みや嫉み。頭では彼や彼女が自分より も努力をしていて、それだけの評価を受けているんだとわかっていた。でも心からそれを祝福できない、ちっぽけな自分がいた。
どんなにやりきったと思える論文でも、教授からの評価に臆病な自分がいた。
それとは逆に、中途半端だと思える内容でも、Aをもらって安穏としてしまう自分もいた。
イチローは
「自分がやっていること自体よりも、
世の中の人に評価をされることを
望んでいた自分がいた」
と言う。彼がそのまま世間の評価に踊らされ、評価されているというだけで感覚が掴めないままの自分に安住してしまっていれば、いまの彼はいない。
「評価されるため」の努力では限界がある。
「結果を残すために最大限の努力をする」のと
「最大限の努力をして、それがよい結果を生む」のは似ているようで根本的に違う。
前者は努力の最大限が評価によって頭打ちしてしまうが、後者の努力は自分次第でいくらでも追い求められる。結局人からの評価には不確定な要素が大きいし、環境や状況が変わればたやすく変わってしまう。自分で自分を評価する目があれば、そんなことはない。
もちろん他人からの評価や社会からの評価が、自分を測る基準のひとつであってもかまわないと思う。最終的な判断を下すのが自分自身であれば。
それまで人の目をごまかすことで、自分の目もごまかせているように思っていたけど、それはやっぱり違った。人の目はごまかせても、本当は自分の目はごまかせないのだから。
自分自身を追及していくなかで、結果として世界的に評価を受ける結果を残すイチローの姿は、決して結果を求めてある姿ではなく、客観的に自分を見つめる自分の目を持って、常に自分のスタイルを目指してきた証だ。
彼と僕は生きる場所も目標も違うし、そう簡単に人生が交わることもないだろう。でも彼の生き様、口先だけでない努力、そして哲学は自分にとってひとつのロールモデルとして輝いている。
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プロフィール
HN:
Junya Tanaka
性別:
男性
職業:
NGOスタッフ/参加型の場づくり研究・実践家
自己紹介:
青山学院大学の社会人大学院社会情報学研究科ヒューマンイノベーションコースで参加型の場づくり、ワークショップデザイン、ファシリテーションなどについて研究をしながら、震災関連の仕事をしています。
2007年5月南カルフォルニア・オレンジ郡にある4年制教養大学を卒業しました。その後にすぐにイギリスの大学院に行くつもりが、もろもろの事情でいかないことにし、日本に帰国しました。なぜかいまだに日本にいます。人生思ったようにはならないです(笑)
後悔はしていませんが、試行錯誤です。
2011年5月にまたまた転職しました。震災関連の仕事をするためにアメリカ系のNGOで働き始めました。
また休日や平日の夜にはイベントや会議や参加型のプロセスのデザインやコーディネートをやったり、さまざまな研修や会議のお手伝いをしてます。ご関心があればお声掛けください。こういう研修ってふつう結構高いので、学生が参加できる金額でやれたらなと思っています(参加費応相談)
◇参加型ファシリテーション入門編ワークショップ
◇傾聴力ワークショップ
◇アイスブレーキング体験学習ワークショップ
◇開発と気候変動を考える参加型ワークショップ
<現在企画中>
▽発問力ワークショップ
▽ワークショップデザインコース
2007年5月南カルフォルニア・オレンジ郡にある4年制教養大学を卒業しました。その後にすぐにイギリスの大学院に行くつもりが、もろもろの事情でいかないことにし、日本に帰国しました。なぜかいまだに日本にいます。人生思ったようにはならないです(笑)
後悔はしていませんが、試行錯誤です。
2011年5月にまたまた転職しました。震災関連の仕事をするためにアメリカ系のNGOで働き始めました。
また休日や平日の夜にはイベントや会議や参加型のプロセスのデザインやコーディネートをやったり、さまざまな研修や会議のお手伝いをしてます。ご関心があればお声掛けください。こういう研修ってふつう結構高いので、学生が参加できる金額でやれたらなと思っています(参加費応相談)
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