コミュニケーション・ラボラトリーの公式ブログです。イベントの告知のほか、いままで書き溜め、Mixiなどで公開していた文章なども公開していきます。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ちょっぴりしんどかった今週も山場を越えたので、ひさしぶりに感動の思い出を語ってみたいと思います。
<感動の思い出を語ろう~横浜会議編その1~>
何気ない行動でもそれは必ず誰かが見てくれていて、評価してくれる人がいる。たった一週間ほどの出会いなのに僕を評価してくれた彼らを決して僕は忘れない。
前回の思い出、ドイツへ旅立つ10日ほど前、まだ二学期が終わってないと言うのに僕は地元横浜にいました。それは2001年の12月。僕は「第二 回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」(開催地域の名から通称「横浜会議」)に、世界から集う93人の子ども・若者代表の一人として参加させても らうために学校を公認欠席させていただいていたのでした。
今回の思い出はその期間中にあった不思議な出会いについて。
<会議の概略(個人としての感想含め、事実とは違う場合があるかも)>
この横浜会議はユニセフが主催したもので、「子どもの商業的性的搾取」つまり子どもによる買春や子どものポルノ、それらを目的とした人身売買などについて各国の現状を議論・評価し、さらにこれからの行動計画を立てていくためのもの。
(「買春」と言う表現は「売春」から派生したもので、子どもが自分から「売って」いるのではなく、「買われて」いるのだと言う認識によって、買う側の責任に焦点をあてます。)
ではなぜその会議が日本で行われることとなったのか。
それは1996年に第一回の同会議がストックホルムで行われた際に、日本は世界有数の子どものポルノの排出国として非難され、さらに東南アジアに おいて多くの日本人が買春旅行をしたりするなど多くの問題を抱えていたため。しかしそうした状況に反して多くの日本国民はこれらの問題を知りません。
日本で会議を開催することで国内においての問題認識を高めることが狙いだったのではないでしょうか。
この会議において子どもと若者の代表が「公式参加者」として参加できたことは、子どもに関わる問題について、子どもの視点で見つめ、子どもの意見を取り入れて取り組んでいくことが大事だと言う認識からだとおもいます。
<思い出・本編>
会議が始まる3日前から「子ども・若者プログラム」と言うものが予定されていました。このプログラムでは各国の代表が交流し、子どもの商業的性的 搾取にたいする認識を深め、また会議で発表するために子どもと若者による提言を作成するためのものでした。プログラムが始まる前日、東京のユニセフハウス に日本からの代表33名のうち何人かが集まり、半年振りの再会で盛り上がったりしていました。
そして当日。世界からの60名ほどの参加者も含め僕達は会議が終わるまでの一週間、川崎青少年の家に泊まりこみ、みんなで時間を共にするのでした。
初日。自己紹介を含めいろいろとプログラムが進む中、せっかくの機会だからと僕はいろんな人と交流をしようとしていました。参加者のほとんどが非 日本人であるため、会議もプログラムもメイン言語は英語であって、当時留学に向けて英語の特訓中だった僕は積極的に英語を使っていろんな人と話しをしてい ました。実のところ33名の日本からの代表のうち、まともに英語でコミュニケーションができるのは10人も満たなかったんじゃないでしょうか。とくに高校 生以下だと僕も含め5人ぐらいしかしゃべれる人はいませんでした。だからそういう意味もあって、休み時間とかに海外からの代表と交流したい子が、僕を通訳 にして話をしたりしてました。
そんなこんなでちょっと疲れてしまった僕が、プログラムの合間に休憩していると、なにやらブロンドの髪をした7人組が、僕のほうに向かってやって きたのです。かれらはロシアを含め旧ソ連の国から来た代表団のメンバーでした。彼らは僕を取り囲んで、「ちょっと外へ行こう」と英語で言ってきまし た。(え・・・何されるの・・・)と思いつつ、逆らわないほうがいいとおもい、そのまま連れ立って外に行ったのでした。
(長いのでその2に続く)
<感動の思い出を語ろう~横浜会議編その1~>
何気ない行動でもそれは必ず誰かが見てくれていて、評価してくれる人がいる。たった一週間ほどの出会いなのに僕を評価してくれた彼らを決して僕は忘れない。
前回の思い出、ドイツへ旅立つ10日ほど前、まだ二学期が終わってないと言うのに僕は地元横浜にいました。それは2001年の12月。僕は「第二 回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」(開催地域の名から通称「横浜会議」)に、世界から集う93人の子ども・若者代表の一人として参加させても らうために学校を公認欠席させていただいていたのでした。
今回の思い出はその期間中にあった不思議な出会いについて。
<会議の概略(個人としての感想含め、事実とは違う場合があるかも)>
この横浜会議はユニセフが主催したもので、「子どもの商業的性的搾取」つまり子どもによる買春や子どものポルノ、それらを目的とした人身売買などについて各国の現状を議論・評価し、さらにこれからの行動計画を立てていくためのもの。
(「買春」と言う表現は「売春」から派生したもので、子どもが自分から「売って」いるのではなく、「買われて」いるのだと言う認識によって、買う側の責任に焦点をあてます。)
ではなぜその会議が日本で行われることとなったのか。
それは1996年に第一回の同会議がストックホルムで行われた際に、日本は世界有数の子どものポルノの排出国として非難され、さらに東南アジアに おいて多くの日本人が買春旅行をしたりするなど多くの問題を抱えていたため。しかしそうした状況に反して多くの日本国民はこれらの問題を知りません。
日本で会議を開催することで国内においての問題認識を高めることが狙いだったのではないでしょうか。
この会議において子どもと若者の代表が「公式参加者」として参加できたことは、子どもに関わる問題について、子どもの視点で見つめ、子どもの意見を取り入れて取り組んでいくことが大事だと言う認識からだとおもいます。
<思い出・本編>
会議が始まる3日前から「子ども・若者プログラム」と言うものが予定されていました。このプログラムでは各国の代表が交流し、子どもの商業的性的 搾取にたいする認識を深め、また会議で発表するために子どもと若者による提言を作成するためのものでした。プログラムが始まる前日、東京のユニセフハウス に日本からの代表33名のうち何人かが集まり、半年振りの再会で盛り上がったりしていました。
そして当日。世界からの60名ほどの参加者も含め僕達は会議が終わるまでの一週間、川崎青少年の家に泊まりこみ、みんなで時間を共にするのでした。
初日。自己紹介を含めいろいろとプログラムが進む中、せっかくの機会だからと僕はいろんな人と交流をしようとしていました。参加者のほとんどが非 日本人であるため、会議もプログラムもメイン言語は英語であって、当時留学に向けて英語の特訓中だった僕は積極的に英語を使っていろんな人と話しをしてい ました。実のところ33名の日本からの代表のうち、まともに英語でコミュニケーションができるのは10人も満たなかったんじゃないでしょうか。とくに高校 生以下だと僕も含め5人ぐらいしかしゃべれる人はいませんでした。だからそういう意味もあって、休み時間とかに海外からの代表と交流したい子が、僕を通訳 にして話をしたりしてました。
そんなこんなでちょっと疲れてしまった僕が、プログラムの合間に休憩していると、なにやらブロンドの髪をした7人組が、僕のほうに向かってやって きたのです。かれらはロシアを含め旧ソ連の国から来た代表団のメンバーでした。彼らは僕を取り囲んで、「ちょっと外へ行こう」と英語で言ってきまし た。(え・・・何されるの・・・)と思いつつ、逆らわないほうがいいとおもい、そのまま連れ立って外に行ったのでした。
(長いのでその2に続く)
PR
この記事にコメントする
カウンター
最新記事
(11/19)
(11/18)
(11/13)
(11/02)
(11/25)
(10/14)
最古記事
(11/15)
(11/16)
(11/17)
(08/03)
(08/06)
(08/13)
カテゴリー
プロフィール
HN:
Junya Tanaka
性別:
男性
職業:
NGOスタッフ/参加型の場づくり研究・実践家
自己紹介:
青山学院大学の社会人大学院社会情報学研究科ヒューマンイノベーションコースで参加型の場づくり、ワークショップデザイン、ファシリテーションなどについて研究をしながら、震災関連の仕事をしています。
2007年5月南カルフォルニア・オレンジ郡にある4年制教養大学を卒業しました。その後にすぐにイギリスの大学院に行くつもりが、もろもろの事情でいかないことにし、日本に帰国しました。なぜかいまだに日本にいます。人生思ったようにはならないです(笑)
後悔はしていませんが、試行錯誤です。
2011年5月にまたまた転職しました。震災関連の仕事をするためにアメリカ系のNGOで働き始めました。
また休日や平日の夜にはイベントや会議や参加型のプロセスのデザインやコーディネートをやったり、さまざまな研修や会議のお手伝いをしてます。ご関心があればお声掛けください。こういう研修ってふつう結構高いので、学生が参加できる金額でやれたらなと思っています(参加費応相談)
◇参加型ファシリテーション入門編ワークショップ
◇傾聴力ワークショップ
◇アイスブレーキング体験学習ワークショップ
◇開発と気候変動を考える参加型ワークショップ
<現在企画中>
▽発問力ワークショップ
▽ワークショップデザインコース
2007年5月南カルフォルニア・オレンジ郡にある4年制教養大学を卒業しました。その後にすぐにイギリスの大学院に行くつもりが、もろもろの事情でいかないことにし、日本に帰国しました。なぜかいまだに日本にいます。人生思ったようにはならないです(笑)
後悔はしていませんが、試行錯誤です。
2011年5月にまたまた転職しました。震災関連の仕事をするためにアメリカ系のNGOで働き始めました。
また休日や平日の夜にはイベントや会議や参加型のプロセスのデザインやコーディネートをやったり、さまざまな研修や会議のお手伝いをしてます。ご関心があればお声掛けください。こういう研修ってふつう結構高いので、学生が参加できる金額でやれたらなと思っています(参加費応相談)
◇参加型ファシリテーション入門編ワークショップ
◇傾聴力ワークショップ
◇アイスブレーキング体験学習ワークショップ
◇開発と気候変動を考える参加型ワークショップ
<現在企画中>
▽発問力ワークショップ
▽ワークショップデザインコース
最新CM
[04/11 りんご]
[05/14 Backlinks]
[07/22 higure]
[06/18 もこら]
[02/11 通りすがり]
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
最新TB
アーカイブ
フリーエリア
ブログ内検索
アクセス解析
アクセス解析