コミュニケーション・ラボラトリーの公式ブログです。イベントの告知のほか、いままで書き溜め、Mixiなどで公開していた文章なども公開していきます。
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感動の思い出を語ろう~横浜会議編その2~
<前回のあらすじ>
晴れて、世界会議の参加者となることができた僕は、当日、ロシア系のブロンドヘアーの七人組に取り囲まれてしまったのです。さて、運命はいかに!!
<続き>
さて、7人のロシア系のメンバーに取り囲まれた僕は何も悪いことしてないのにリンチされるのではないかと恐怖してました(そんなわけないのだ が)。かれらは「疲れた~。」「めんどくせ~。」「かたっくるし~。」と緊張した雰囲気の会場に飽き飽きしていたようだったのです。僕も緊張を和ませて、 しばし楽しい会話と英語でしていました。
あれやこれやと一日目のプログラムを自己紹介やこれからのスケジュールの設定、それぞれの国での問題状況の確認なので終了し、僕らは青年の家に帰ってきました。帰ってきたとはいえそれからも話し合いなどはたくさんあり、結局まともに寝れた日はあんまりなかったのです。
そんなある晩、僕が寝れずに青年の家をぶらぶらしていると、国際電話ができる電話の前でロシア系の子達が何人か待っていたのでした。なんだかホー ムシックにかかっていたみたい。ロシア語で話していたから何言っているのかわからなかったけど、声は涙声っぽくなってたからわかった。電話を待っている 間、そのうちのひとりと話そうと思ったんだけど、会話が続かない。なぜかっていうと彼女はほとんどロシア語しか話せない子だったのです。7人と話している ときは、寡黙な子なんだなと思っていたのですが、話さないんじゃなくて、話せないんだとその時気がつきました。その時、ロシア語学科で一年間ロシアに留学 した姉から借りたロシア語の辞書でなんとかコミュニケーションをとろうとするも、ぜんぜんだった。でも不思議と絆が深まった気がした。
会議が始まるまでの3日間、いろいろなことがありました。世界中から93人もの人が集まっていろいろ決めようって言うんだからそれは当然のことか もしれない。一番のネックは年齢の壁・言葉の壁。話し合いの最初のころは19歳から25歳までの「青年」たちが主に話をしていて、18歳以下の子どもたち はあんまり話せていなかった。たしかに100人近い話し合いで一番下は10歳とかの子ども達が意見を言うのは難しかったんだと思う。ただでさえ、通訳を聞 いてから意見を考えて、言おうと思ったらもう話題は変わってて、見たいな。後々になって気がついたことは、中学生とかは「訳された日本語」の意味が難しく てわかってなかったみたいだし。言語の壁と年齢の壁はやっぱりでかいんだと感じていました。
話し合いもぜんぜん進まなくて、いろんな人が勝手なことをしだしたり言い出したりして、僕のボイコットみたいなこともしそうになったし。会議が始 まったのに、提言は決まってなく、閉会式まで時間がない中、焦りもあってまとまらなかった。怒りながら、泣きながら夜中まで語り合ったりした日もあった。 そんな中で僕は、自分なりにいろいろ考えて行動しようと思った。若者と子どもの年齢の壁。英語圏とその他の国から来た人の言葉の壁。そういう壁を感じたと き、自分が子どもから青年になりかけの過渡期にあり、英語も日本語も話せる自分として、なんとか壁を崩すための役に立てないかなって思い立ったんです。
そういう努力がどう報われたのかはわからないけど、全体として少しずつまとまっていきました。提言もある程度の形となり、閉会式での発表の仕方も決まった。
そこで、また全員が集まって、提言を誰が読むのかを決めようということになった。決め方は立候補と推薦で出た人の中から多数決で決めようと。ん で、僕は出ようか迷ったけど立候補はしないでおこうと思った。実はそれまでにも二回ほど、発表する代表を決める機会があって、立候補したんだけど落ちてし まって。最後も出ようかと思ったけど、他にもっとふさわしい人がいるだろうと思ったんです。
何人か立候補と推薦が出たあと、司会の人が「他にいませんか~?」って聞いたときに例のロシア系のメンバーが手を挙げ、全員で立ち上がりました。(7人のうちの誰かを推薦するのかな・・・)って思ってたんですが、いきなり彼らが声を合わせて
「私達はジュンヤを推薦します」って。
「え!?」
会場内で一番驚いたのは僕だったでしょう。そんなことはぜんぜん予期してなかったし、言われたあとでもにわかには信じられなかったのです。彼らは推薦理由を続けました。
「ジュンヤは93人の代表の中で、一番いろいろな人とコミュニケーションをとろうとしていて、みんなのことを理解しようとしていました。そんな彼が代表するのがいいと思います。」と。
このときのうれしい気持ちと言ったらたぶん文章では表現しきれないと思う。遠くロシア方面から来た子達が、自分達の中から代表を推薦しないで、 あって一週間しかたってない僕を推薦してくれた。だれも見てないだろうと思っていたのに、いろんな人と話して、微力ながらグループの溝を埋めようとしてい た自分を見ていてくれていたこと。彼ら7人が声を合わせて僕を推薦してくれたことが7日間の中で一番うれしかったとおもう。
結局多数決の結果、提言を読む代表には選ばれることはできなかった。でも、それ以上に満足できるものを得れた思いでいっぱいだった。
代表になるとか、表彰されるとか、誰から見ても明らかな勲章みたいなものなんかより、誰かが心から自分のことを認めてくれることのほうが何倍もうれしいことなんだなって思えた。
横浜会議の成功とともに、僕の心に残り続ける最高の思い出でした。
<前回のあらすじ>
晴れて、世界会議の参加者となることができた僕は、当日、ロシア系のブロンドヘアーの七人組に取り囲まれてしまったのです。さて、運命はいかに!!
<続き>
さて、7人のロシア系のメンバーに取り囲まれた僕は何も悪いことしてないのにリンチされるのではないかと恐怖してました(そんなわけないのだ が)。かれらは「疲れた~。」「めんどくせ~。」「かたっくるし~。」と緊張した雰囲気の会場に飽き飽きしていたようだったのです。僕も緊張を和ませて、 しばし楽しい会話と英語でしていました。
あれやこれやと一日目のプログラムを自己紹介やこれからのスケジュールの設定、それぞれの国での問題状況の確認なので終了し、僕らは青年の家に帰ってきました。帰ってきたとはいえそれからも話し合いなどはたくさんあり、結局まともに寝れた日はあんまりなかったのです。
そんなある晩、僕が寝れずに青年の家をぶらぶらしていると、国際電話ができる電話の前でロシア系の子達が何人か待っていたのでした。なんだかホー ムシックにかかっていたみたい。ロシア語で話していたから何言っているのかわからなかったけど、声は涙声っぽくなってたからわかった。電話を待っている 間、そのうちのひとりと話そうと思ったんだけど、会話が続かない。なぜかっていうと彼女はほとんどロシア語しか話せない子だったのです。7人と話している ときは、寡黙な子なんだなと思っていたのですが、話さないんじゃなくて、話せないんだとその時気がつきました。その時、ロシア語学科で一年間ロシアに留学 した姉から借りたロシア語の辞書でなんとかコミュニケーションをとろうとするも、ぜんぜんだった。でも不思議と絆が深まった気がした。
会議が始まるまでの3日間、いろいろなことがありました。世界中から93人もの人が集まっていろいろ決めようって言うんだからそれは当然のことか もしれない。一番のネックは年齢の壁・言葉の壁。話し合いの最初のころは19歳から25歳までの「青年」たちが主に話をしていて、18歳以下の子どもたち はあんまり話せていなかった。たしかに100人近い話し合いで一番下は10歳とかの子ども達が意見を言うのは難しかったんだと思う。ただでさえ、通訳を聞 いてから意見を考えて、言おうと思ったらもう話題は変わってて、見たいな。後々になって気がついたことは、中学生とかは「訳された日本語」の意味が難しく てわかってなかったみたいだし。言語の壁と年齢の壁はやっぱりでかいんだと感じていました。
話し合いもぜんぜん進まなくて、いろんな人が勝手なことをしだしたり言い出したりして、僕のボイコットみたいなこともしそうになったし。会議が始 まったのに、提言は決まってなく、閉会式まで時間がない中、焦りもあってまとまらなかった。怒りながら、泣きながら夜中まで語り合ったりした日もあった。 そんな中で僕は、自分なりにいろいろ考えて行動しようと思った。若者と子どもの年齢の壁。英語圏とその他の国から来た人の言葉の壁。そういう壁を感じたと き、自分が子どもから青年になりかけの過渡期にあり、英語も日本語も話せる自分として、なんとか壁を崩すための役に立てないかなって思い立ったんです。
そういう努力がどう報われたのかはわからないけど、全体として少しずつまとまっていきました。提言もある程度の形となり、閉会式での発表の仕方も決まった。
そこで、また全員が集まって、提言を誰が読むのかを決めようということになった。決め方は立候補と推薦で出た人の中から多数決で決めようと。ん で、僕は出ようか迷ったけど立候補はしないでおこうと思った。実はそれまでにも二回ほど、発表する代表を決める機会があって、立候補したんだけど落ちてし まって。最後も出ようかと思ったけど、他にもっとふさわしい人がいるだろうと思ったんです。
何人か立候補と推薦が出たあと、司会の人が「他にいませんか~?」って聞いたときに例のロシア系のメンバーが手を挙げ、全員で立ち上がりました。(7人のうちの誰かを推薦するのかな・・・)って思ってたんですが、いきなり彼らが声を合わせて
「私達はジュンヤを推薦します」って。
「え!?」
会場内で一番驚いたのは僕だったでしょう。そんなことはぜんぜん予期してなかったし、言われたあとでもにわかには信じられなかったのです。彼らは推薦理由を続けました。
「ジュンヤは93人の代表の中で、一番いろいろな人とコミュニケーションをとろうとしていて、みんなのことを理解しようとしていました。そんな彼が代表するのがいいと思います。」と。
このときのうれしい気持ちと言ったらたぶん文章では表現しきれないと思う。遠くロシア方面から来た子達が、自分達の中から代表を推薦しないで、 あって一週間しかたってない僕を推薦してくれた。だれも見てないだろうと思っていたのに、いろんな人と話して、微力ながらグループの溝を埋めようとしてい た自分を見ていてくれていたこと。彼ら7人が声を合わせて僕を推薦してくれたことが7日間の中で一番うれしかったとおもう。
結局多数決の結果、提言を読む代表には選ばれることはできなかった。でも、それ以上に満足できるものを得れた思いでいっぱいだった。
代表になるとか、表彰されるとか、誰から見ても明らかな勲章みたいなものなんかより、誰かが心から自分のことを認めてくれることのほうが何倍もうれしいことなんだなって思えた。
横浜会議の成功とともに、僕の心に残り続ける最高の思い出でした。
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プロフィール
HN:
Junya Tanaka
性別:
男性
職業:
NGOスタッフ/参加型の場づくり研究・実践家
自己紹介:
青山学院大学の社会人大学院社会情報学研究科ヒューマンイノベーションコースで参加型の場づくり、ワークショップデザイン、ファシリテーションなどについて研究をしながら、震災関連の仕事をしています。
2007年5月南カルフォルニア・オレンジ郡にある4年制教養大学を卒業しました。その後にすぐにイギリスの大学院に行くつもりが、もろもろの事情でいかないことにし、日本に帰国しました。なぜかいまだに日本にいます。人生思ったようにはならないです(笑)
後悔はしていませんが、試行錯誤です。
2011年5月にまたまた転職しました。震災関連の仕事をするためにアメリカ系のNGOで働き始めました。
また休日や平日の夜にはイベントや会議や参加型のプロセスのデザインやコーディネートをやったり、さまざまな研修や会議のお手伝いをしてます。ご関心があればお声掛けください。こういう研修ってふつう結構高いので、学生が参加できる金額でやれたらなと思っています(参加費応相談)
◇参加型ファシリテーション入門編ワークショップ
◇傾聴力ワークショップ
◇アイスブレーキング体験学習ワークショップ
◇開発と気候変動を考える参加型ワークショップ
<現在企画中>
▽発問力ワークショップ
▽ワークショップデザインコース
2007年5月南カルフォルニア・オレンジ郡にある4年制教養大学を卒業しました。その後にすぐにイギリスの大学院に行くつもりが、もろもろの事情でいかないことにし、日本に帰国しました。なぜかいまだに日本にいます。人生思ったようにはならないです(笑)
後悔はしていませんが、試行錯誤です。
2011年5月にまたまた転職しました。震災関連の仕事をするためにアメリカ系のNGOで働き始めました。
また休日や平日の夜にはイベントや会議や参加型のプロセスのデザインやコーディネートをやったり、さまざまな研修や会議のお手伝いをしてます。ご関心があればお声掛けください。こういう研修ってふつう結構高いので、学生が参加できる金額でやれたらなと思っています(参加費応相談)
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