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コミュニケーション・ラボラトリーの公式ブログです。イベントの告知のほか、いままで書き溜め、Mixiなどで公開していた文章なども公開していきます。
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僕は結構変わった事に興味ある子で、しかもいろいろと手を出し、行動に移すので、ふつうの人では経験し得ないようなこともいろいろあり、感動の経験もあります。そのうちのひとつを紹介します。

それは高校二年の冬休みに、ドイツ平和村というNGOを訪ねたときの話。

<回想>
あれは忘れもしない2001年の12月、高2の冬。横浜でのユニセフ主催の世界会議を終え、終業式と関連イベントのためだけに大阪に戻り、またすぐ横浜の実家に帰ってから3日後、僕は海外旅行の支度をしてました。目的地はオランダとドイツ。

僕の高校のクラスメートに1人オランダから来ている子がいて、その子は入学以来実家に帰ってなく、その冬、二年半ぶりに帰ることにしたとのこと。 しかも僕に向かって「一緒に来る?」と聞いてきたのです。はじめは冗談だと思っていたのですが、彼も結構本気だったらしく、いろいろ考えてみたとき、ある ことが僕の頭によぎったのでした。「あ、オランダとドイツって隣同士だ」と。

なぜここで、ドイツが出てくるのか。それを語るにはさらに4年間、中学校1年の時までさかのぼる必要があります。理由はなんとなく見ていたテレビ番組「世界ウルルン滞在記」で、東ちづるさんがドイツの国際平和村を訪ねた回でした。

思えば僕が今もこうして世界の子どもの問題に興味を持って活動しているのもこれがきっかけかもしれない。
ドイツ国際平和村というのは、発展途上国、とくに中東地域で地雷など戦争の影響で怪我をしたり、自国では治療ができない病気になった子どもをヨーロッパにつれてきて、治療とリハビリを提供するNGOです。
http://www.friedensdorf.de/japan/home.htm

自分が知らないところで、同じくらい、そしてさらに年下の子ども達がそうして辛い目にあっている驚愕し、食いつくようにテレビを見ていたことを今 でも覚えています。そしてさらにそんな子ども達のために実際に行動を起こし、彼らを助けている平和村に対し「いつか絶対に訪ねよう」と羨望の思いを抱いた のでした。

でも当時の僕にとってはまったくリアルな話じゃなかったし、心の片隅に気持ちをおいておくだけ。その後も、東さんが何度も同番組の再会スペシャルでドイツ平和村を見るたびに、行きたいな~って思うだけでした。

そして話は戻り、高2の冬。オランダ行きを誘われた僕の頭にはもう「ドイツ平和村」のことしかなかった。そのことを友達に話すと興味を持ってくれ て、お父さんに話して行けるか聞いてみてくれるとのこと。僕の両親にも「ドイツに行きたい」って言ったら、意外に簡単に「良いよ」と。お小遣いをかなり前 借させてもらっていけることになった。
そしてドイツ平和村の日本人スタッフの方にメールを送り、訪問の希望を伝えると、快諾してくれました。

さらにただ行くだけじゃ意味がないと思い、スタッフの方に平和村での生活の様子を聞き、下着は靴下などの服、あらゆる日常品、さらに心理療法に使 うクレヨンや色鉛筆が足りないと聞きました。そこで学校にお願いし、各家庭で使ってないこれらのものを集めて送れるようにさせていただきました。(この件 では後藤君お世話になりました)

さらに、行く時期がクリスマスシーズンとかぶるので、何人かの生徒にクリスマスカードを書いてもらったり、さらに所属していたレオナルド合唱団に「歓喜の歌(ドイツ語)」を録音してもらいました。

こうしてさまざまな準備を整え、万全の体勢でオランダ・ドイツに向かう予定でした。ですが思わぬ事態が起こり、行くかどうか迷いはじめてしまう僕がいました。

(長いので、その2に続く)

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皆さんは子どもの商業的性的搾取という言葉をご存知でしょうか?
僕は今から4年前高校2年生だったときに朝日新聞社記者の大久保真紀さんの公演で、日本と子どもの性的搾取の話を聞きました。日本は世界1のポル ノ排出国で、世界会議で「世界のポルノセンター」と非難されていたり、日本人の多くがアジアの国で「研修」と偽って子どもの買春を行っていたり、旅行会社 が斡旋していたりする事実があったからです。

当時僕はいち日本人としてそのことを聞いて自分の無知をすごく恥ずかしく感じました。学校に帰ってその話をしてもそんなことは誰も知らないし、誰も教えてくれない。日本がこんなにも関わっている問題なのにまともな報道も行われていません。

でも僕が自分の周りの知らない人たちに「なんで知らないの?」とせめても意味がない。「知らない」ということ自体には「罪」はないのだなと。でも「それを知った自分」が「伝えていくこと」は「責任」であり、それを怠り事態を助長するならそれは「罪」だなと感じたのです。

僕はできるだけ多くのことにこうした問題を伝えていき、自分と同じようにまた誰かに伝えてもらえるように、その人がもっと知ろうとしてもらえるように努力をしています。

皆さんの身近なことでそういうことありますか?そしてそれにたいしてどうアクションをとり、どう周りの人に対してどういうアプローチを取っていますでしょうか???

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世の中で起こっていることに関心が無いというのはすごく恐ろしいことだと思う。

たとえば、自分の住んでいる地域で何か大きな災害があったり事件があったりすれば誰もが関心を抱くだろう。それはもちろん自分に危険が及ばないよ うにするための「防衛本能」の一部なのかもしれない。そして事件や災害が起こった地域が自分の身近なところから離れたり、縁のある土地でなければ、どんな ことが起こったとしても「ふーん」で済ましてしまうのかもしれない。

もちろん、世界で起こっていることすべてに関心を持っていけるほど時間の余裕はないし、何でもかんでも知ろうとするなんてナンセンスだと思う。

関心があるということはある意味、「その事柄が自分の生活や思想に対して影響がある」ということだと思う。身近に起きている犯罪は危険という影響 であり、人は自然と関心と持つ。株をやっている人なら、株価の変動、車を持っている人ならガソリン代の変動は自分の経済に影響があるから関心を持つ。

そういう論理が成り立つと自分に影響が無いことに人は関心を示さなくなって、知ろうとすらしなくなってしまう。今、アメリカで話題になっているハリケーンも、スマトラで起きた津波も、世界のいろんな情勢も、自分に影響がない、といって関心を払わなくていいのだろうか。

僕は人が関心を持つためには、自分に与える影響以外にも「自分がその事柄に対して影響を及ぼすことができる」という認識と状態も必要だと思う。
それは起きたことに対して何かをできる自分がいる、ということ。

たとえば道に迷っている外国の人を見かけたとき、自分が英語が話せなければ、何もできないのだから関心を持てないだろうし、無視しかできない。で も英語がしゃべれるなら助けられるかも、って思って関心を持って、話しかけれるかもしれない。実際僕も英語が話せるようになってから道端の外国の人に今ま で以上に関心を持っている気がする。
それと同じように、災害や事件なので自分から離れているものでも、それに対して何かができるという自覚って大事なんだと思う。ハリケーンにして もいろんな援助・支援の方法があるし、スマトラのときもそうだった。小さなことかもしれないけど、その事柄に対して何かをできるかもしれない自分が確かに いるということ、そしてそれを自分が認識していること。

去年そういう思いもあって、大学でGlobal Awareness Networkという団体を作った。この団体は世界で起きていることにたいする学生の関心を高めるために自分たちで世界のニュースをまとめた新聞を作った り、プレゼンテーションを作って、ディスカッションを開いたりした。そしてただ知るだけで終わらずに必ず最後に「じゃあ自分たちが何をできるのか」リアル に探して提案できるようにしている。
今回のハリケーンでも大学では募金を行っているし、僕もそれに関わっている。多分来週ぐらいにGlobal Awareness Networkでもプレゼンをするかもしれない。

僕らは決して無力ではない。決して傍観者であってはいけない。そしてそうした関心の輪はどんどん広げていかないといけないと思う。

目の前に苦しむ100人のうちの1人がいるとき、自分は100人も救えないからって目の前にいる1人すら見捨ててしまってはいけないとおもう。僕は目の前の1人を救える100人の仲間を作りたい。その輪を少しずつ広げていきたい。

長文よんでくれてありがとう☆

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ヒマワリのように 凛と まっすぐと
太陽に向かって伸びて行きたい

風にも 雨にも 揺らぐことなく
ただただ一心に陽に向かって伸びゆく
ヒマワリになりたい

暖かい太陽の光が
暗い闇夜を朝に変えるように
身近な人々の悲しみや苦しみを
取り払ってあげれるようなヒマワリの人でありたい

どこまでもひろく
どこまでもやさしく
すべての生命を育み
すべての命を見届け

時に雨の日も
曇りの日もあり
その暖かい日を浴びることができない日もある

でも そんな日であっても
分厚い雲の向こうで
太陽はいつでも輝いている 笑っているのだ

心に翳る暗い雲を払えば
そこにはいつもと変わらない太陽が輝いているから

この地を照らす陽の光に感謝し
ただただ高く伸びていこう
いつか自分が未来に輝く太陽になるために

そのために今、ヒマワリでありつづけよう
まっすぐと太陽を見つめ
まわりにささやかな幸せを捧ぐ
まだ小さなヒマワリに

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子どもの問題に関わって活動をするようになってからずっと気になっていることがある。それは子どもをどう表記するかということ。

新聞・TV・インターネットなどなど、さまざまな媒体でいろんな形の書かれ方がしていると思う。たとえば「児童労働」「少年兵士」「児童虐待」 「子どもの性的搾取」。英語に直してしまえば「child labor」「child soldier」「child abuse」「child sexual exploitation」と全部child だというのに、日本だといろいろな書かれ方をしてしまう。とりわけ「少年兵士」という表現は現実的に少女もいることを考えると、不適切な表現であると思 う。

あと子どもの権利を掲げる条約であるConvention on the Rights of the Child。日本政府訳では「児童に関する権利条約」に対し、日本ユニセフ協会抄訳では「子どもの権利条約」になっている。ここから政府が公式な child の訳として「児童」を使っているのに対し、一般的にはそれが使われてないことも伺える。

あと僕が気になっているのが「子ども」か「子供」かという問題。多くの新聞では大体「子供」と表記している。一文字を争う新聞業界では少ない文字 で現れるほうが優先されているのかもしれないけど・・・・。そもそも「子供」というのが不適切でないかといわれだしたのもここ近年のことだと思う。

ネットで少し調べてみたけど、日本語として「子供」と言う表記は正しいが、最近、教育現場などではそれを差別的表現として変えようとしているとい うものらしい。子供の「供」は「男共」といったのと同じで複数表現であって、それが「友達」と同じように単数としても使えるようになったものらしい。だけ ど「共」じゃなくて「供」になった理由はわからない。差別表現だという側としては子供が「親のお供」であったり、「お供え物」みたいに見られるということ らしい。

個人的に僕は「子ども」という表記が好きで使っている。作家や新聞記事等でも「子ども」と表記している人のほうが子どもの問題に対して理解があるという経験からでもある。かといって「子供」と書いている人がそれだけで「反子供の権利」的な人々だというつもりもない。

と、調べながら書いていて難しい問題であると思った。一概には言えないし、差別的表現だと主張することで差別的な雰囲気を作り上げているというの もあながち間違いとも言いがたいし・・・。でも僕の中で「子ども表記者」のなかに子ども問題を理解している人が多いというのは経験からくるもので、変えが たいものであると思う。

これに比べると「児童」と「子ども」の問題のほうが大きい気がします。「児童」というと学校に行っている子どもというニュアンスがあると思いま す。これも文学的に言うとそうではないのかもしれませんが、創思っている人が多いのじゃないでしょうかね?もちろんConvention on the Rights of the Childで欠かれている権利は学校に行っている行ってないは関係なくすべてのchildrenが与えられるべきものなので、どうかな・・・とも思いま す。まあ、文証があって児童が学童のみを指しているわけじゃないのでなんとも言いがたいですが。

こういうことについて皆さん考えたことありますか???

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School for Social Entrepreneurs (Table For Two)
********************

私たちTABLE FOR TWO University Association(以下TFTUA)は、TABLE FOR TWO(以下TFT)プログラムを大学の学生食堂に導入し、「食」という切り口から先進国と開発途上国を繋ぐ活動を学生主体で進めております。現在までに24大学の学食にプログラムが導入され、20大学では導入に向けて大学側との交渉を進めていただくなど、多くの学生のみなさんにご参加いただけるような環境を整えてまいりました。

そんなTFTUAではこの度、学生のみなさんが社会事業を実際に形にしていくために必要なスキルと感性を磨くプロジェクト、"School for Social Entrepreneurs"を企画致しました。

こちらは全6回にわたり、TFT事務局長である小暮真久がメインコーディネーターを務め、社会事業を実践していくためのノウハウである「5P(Purpose,Partnering,People,Promotion,Profit)」について実体験を交えながら解説していくものです。

また国内外で有名な社会起業家をゲストに招き、小暮との対談も実現させていきます。
初回は、「TABLE FOR TWOとつながる日」と題し、TFTやアフリカ最新レポート、そして今回のプロジェクトについてご説明させていただきたいと思います。

社会起業家への関心が高まる中、実際にプロジェクトを立ち上げ、マネジメントしていくにはどうしたらいいのか。この疑問に答える解決策を、外資系コンサルで鍛えたビジネススキルと、社会事業への情熱を併せ持つ小暮より提案させていただけましたら幸いです。

社会事業に情熱を注ぐ多くの学生さんとの出会いに期待し、みんなで想いを形にして、リアルに社会を変えてまいりませんか。多くの方からのご応募をお待ちしております。


以下初回イベントの内容です。

■日時:8月20日(木)19:00~2時間を予定

■場所:JICA広尾 地球ひろば 会議室302

■プログラム:19:00~ TABLE FOR TWO活動報告
19:30~ TABLE FOR TWO事務局長小暮よりアフリカレポート&想いを形にするノウハウとは!?
20:00~ School for Social Entrepreneursプロジェクトについて説明
20:15~ 参加者間で交流
20:30~ ざっくばらんに質問タイム
※4人1グループになっていただき、質問を考えていただきます。
※TFTのこと、社会事業のこと、TFTUAのこと、アフリカのこと。疑問に思うことは何でもOK。
※1グループずつ発表していただきながら、議論してまいります。

■参加費:1000円(場所代、資料代、簡単な飲食代)

■申込方法:tablefortwo.ua.sse@gmail.com(担当:仲本)まで、氏名・所属・連絡先を入力の上、17日(月)までにご返信ください。

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カウンター
プロフィール
HN:
Junya Tanaka
性別:
男性
職業:
NGOスタッフ/参加型の場づくり研究・実践家
自己紹介:
青山学院大学の社会人大学院社会情報学研究科ヒューマンイノベーションコースで参加型の場づくり、ワークショップデザイン、ファシリテーションなどについて研究をしながら、震災関連の仕事をしています。

2007年5月南カルフォルニア・オレンジ郡にある4年制教養大学を卒業しました。その後にすぐにイギリスの大学院に行くつもりが、もろもろの事情でいかないことにし、日本に帰国しました。なぜかいまだに日本にいます。人生思ったようにはならないです(笑)
後悔はしていませんが、試行錯誤です。

2011年5月にまたまた転職しました。震災関連の仕事をするためにアメリカ系のNGOで働き始めました。

また休日や平日の夜にはイベントや会議や参加型のプロセスのデザインやコーディネートをやったり、さまざまな研修や会議のお手伝いをしてます。ご関心があればお声掛けください。こういう研修ってふつう結構高いので、学生が参加できる金額でやれたらなと思っています(参加費応相談)
◇参加型ファシリテーション入門編ワークショップ
◇傾聴力ワークショップ
◇アイスブレーキング体験学習ワークショップ
◇開発と気候変動を考える参加型ワークショップ
<現在企画中>
▽発問力ワークショップ
▽ワークショップデザインコース
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