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コミュニケーション・ラボラトリーの公式ブログです。イベントの告知のほか、いままで書き溜め、Mixiなどで公開していた文章なども公開していきます。
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もう10日も前のバレンタインの夜、ホストブラザーの名前がバレンティンだということもあり、みんなでちょっとお祝いをしながらテレビを見ておっ たわけですよ。そんとき流れていたニュースが例のムハンマドの風刺画に反対する暴動の様子とそれについてコメントするヨーロッパの画家・漫画家たちの特集 みたいなヤツで、ホストファミリーのみなさんは「ジュンヤはどう思う?」と意見を聞いてきたわけです。

彼らの言い分、というか欧米の結構な人は表現の自由をかなり尊重する考えで、何を表現したって文句は言えないし、こんな暴動で人が死んだり、傷ついたりするのは馬鹿げている、といいます。

僕も暴動を起こして人が傷ついたりするのは絶対におかしいと思うし、そんなことはあってはいけないと思う。でも表現の自由が絶対で何を表現しても文句を言えないって言うのはどうなんかなって思うんですわ。

僕は自由っていうのはどんなものであれ責任を伴うべきだと信じています。そして表現の自由も責任を伴うんだと思うんですね。その責任って言うのは 「表現されたものに反対する人や、気分を害す人に対してしっかりと対話を重ね理解を求める責任」だと思うんです。そして、ある表現に不服な人も、その反対 する気持ちを「適切な形」で表現できる自由があると思うんですね。表現する側とそれを支持する人がその責任を全うして、反対する人と対話をしていくことが 出来ないんだったら、その自由はただの無法に過ぎない。

残念なことに今回は反対する側が適切な形で反意を表現できていないから問題視されているけど、だれも傷つけずに、誠実に反対の意を表明してきたと きに、欧米の人がちゃんと対応できるのかも疑問です。もともと表現の自由は、さまざまな思想家が権力によって弾圧されてきた背景から出てきたもので、欧米 社会では民主主義の象徴みたいに思われているから、強く支持する気持ちもわかる。でも権力にではなく異なる文化に対して、表現の自由がごり押しで通用する のかどうか、していいものなのかどうかちょっとまだ僕にはわからない。

あとちょっと怖いなって思ったのが、ホストファミリーもテレビのコメンテーターもキリスト教における神がいろんなメディアで表現されていることに 触れ、同じようにイスラム教徒だって風刺画を認めるべきだといっていたこと。文化も背景も違うのに、自分達の尺度での価値観を相手に押し付けて非難する のってすごい危険だとおもう。

とまぁ、いろいろ話して、表現するということについて考えてみたんだけど、何より一番悔しかったのは、自分が思っていることを100%表現できな いこと。家族の皆さんは僕に耳を傾けて理解しようとしてくれて、ある程度は理解を示してくれたものの、半分も言いたいことが伝わらなかったと思う。ほんま に悔しい。マジ悔しい。
だからスペイン語での表現力をあげるためにあるプロジェクトを始めることにしました。

P.S. 表現の自由について、みなさんはどう考えますか???

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この間の日記でアイデンティティについて書いて以来、というかこっちにきて以来。結構そのことについて考える時間が増えた。スペインにおけるカタランにつ いてそうだし、ムハンマドの風刺画から始まるイスラムでのデモもそうだし、人もつのアイデンティティの強さをいい意味でも悪い意味でも見ている気がする。 そんな環境にあって、自分の中で「自分の国や民族を誇りに思ってアイデンティティにするのはいいことだけど、それがほかの国や民族を蔑んでまでするよう じゃいけない」と強く感じるようになった。でもいろいろな世の中の事件を見ているとそういう風にしか自分のアイデンティティを誇示できていない人が多いと 思う。

と、いうようなことを考えていたのだけど、昨日、自分も結局同じようなことをしていることに気がついた。なんかすっげー情けなかったけど。。。

こっちにきてからアイデンティティについて考えるようになったひとつの理由は自分自身が日本人としてのアイデンティティについて考える機会が増え たからでもある。今まで以上に回りに日本人はいないし、日本の文化に触れることなんてめったに無い。地下鉄に乗れば黄色い肌をしているのはほとんどいない し、周りから不思議そうな目で見られる事だってしばしばある。自分が日本人であることを強く意識するようになった。そしていつしか街中で韓国人とか中国人 とかほかのアジア人を見たときに「彼らと間違われたくない」とか「同じように思われたくない」とか「あいつらとは違う」とか思っている自分がいることに気 がついた。先週日記を書いて、しばらく冷静になってみて初めて自分がしていることがおかしいってわかった。心のどこかで優越感があったんだろう。今まで SUAで何学んできたんだろう。僕の中には日本人としてのアイデンティティはあってもアジア人としてのアイデンティティが全然確立されていない。こんなん じゃあかん。こんなんじゃ世界市民なんてまだまだ遠い。

めちゃめちゃ情けなかったけど、気づけてよかった。いまならまだ変えられる。だから変わる。

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火曜日に文化心理学(Cultural psychology)の最初の授業があり、教授のPepがカタルーニャについて語ってくれた。生粋のカタルーニャ人である彼は「スペインを知りたいのな らマドリッドに行けばいいし、君たちもカタルーニャに来たからにはここの文化もちゃんと知ったほうがいい」と語りだした。たとえばカタルーニャ語 (Catalan)がしゃべれないとしても、店に入って「Buenos diás」というのではなく、「Bon dia」というだけでカタルーニャの文化に対して敬意を表すことになるというのだ。

またスペインの政治状況も教えてくれ、彼いわくスペインではマドリッドを中心とした地域とカタルーニャとバスクの両自治州の間でここ近年無い緊迫 状態にあるらしいのです。バルセロナでは意見に多少の違いはあるものの、人口の9割がCatalanistaであり、それに対しマドリッドではほぼ全員が Españolistaであるそうだ。Españolistaというのはカタルーニャもバスクも全部スペインとしてひとつの国であるという意見の持ち主 で、Catalanistaはスペインは合衆国であり、カタルーニャもひとつの国であるという。まぁCatalanistaの中でも完璧に国としての独立 を目指すグループと今以上に強い自治権を得ようとしているグループとに更に分かれるらしい。カタルーニャ人の誇りはすごい強く、それは言語への誇りでもあ る。スペインでは従来のスペイン語をEspañolと呼ばず、Castellanoという。それはスペインにはCalatanとバスク語を入れて3つの言 語があり、そのうちひとつだけが「スペイン語」では無いという思いから。Pepはまたイタリア語など少数しか離せない言語がEU公用語なのに南フランスと バレンシア地方も入れて約1億人が話せるCatalanが公用語にならないのはマドリッドの圧力があるからだともいっていた。

こういうことをホストファミリーと話し出すと30分以上にわたって対話が始まってしまった。もちろん8割以上彼女らが話して、ぼくはちょっとしか しゃべって無いけど。ホストマムがニュースで見たことにはEUという抑えが無ければ今いつまた内戦が起こってもおかしくないとコメンテーターが言っていた らしい。また1939年から75年までのフランコ軍事政権の際にはCatalanが使用禁止されていたことなども教えてくれた。またいろいろ話は脱線して スペイン国王と存在と日本の天皇が似たような立場だとかいろんな話をした。

まぁ、長々と語ったけど何を思ったかというとこんなに強い地方意識があって、ひとつの国としてもまとまりきれていないのに、どうしたら世界市民と しての意識を持てるのだろうかということ。日本は単一民族国家だし、アメリカはいろんな民族がいてもどこかアメリカとして結束している感があり、ここまで 強い民族意識の差を生で感じることができたのはバルセロナに来たからだと思う。ヨーロッパのほかの国を見渡してもひとつの国の中で民族が分かれて、政治的 に対立している場合が多い。こうした民族意識の壁を打ち破るにはどうすればいいのだろうか。先学期社会教育学の授業で学んだことでは世界市民としての意識 は「地域民(および民族)」そして「国民」としてのアイデンティティがバランスよくある上にしか出来上がらないということ。そしてそれぞれのアイデンティ ティがかけることも無く、互いに反発しあうことも無く共存していかねばならない。カタルーニャ人の強すぎるほどのアイデンティティも、無理やりスペインと いうアイデンティティを押し付けられそうになったことに反発してできた結果なのでは無いだろうか。やはりアイデンティティは自発的にしか生み出せず、その ために偏見も偽りも無く、真実に対して誠実な環境をすべての人に与えていく責任が国家にはあるんじゃないかと思う。

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インターネットでニュースを読んでいたら次のような題名の記事を発見した。

「韓国研究チームによるAIDSワクチン、米国で特許承認」

ユニセフや模擬国連でAIDSの問題には関わってきていたのでこのニュースを読み進めてみた。

なんでも「既存のエイズワクチンの場合、エイズウイルスの特定抗原だけを利用した」ものらしいが、今回のワクチンは「病原性が悪化したエイズウイルス全体を使用したもの」らしい。

ほうほう、興味深いな、と読んでいると最後の下りに僕は腹を立てた。

「来年はじめに基礎毒性検査を経て、来年半ば頃、人間を対象にした臨床テストを行う予定」とし、「臨床テストで治療の効果が立証されれば、早期商業化も可能」と伝えた。

「早期商業化」

はぁ、やっぱりそこなのかよ。世界には4000万人以上エイズに苦しむ患者がいて、その多くが値段の高い抗エイズ薬を買うことが出来ない。マジッ クジョンソンのような金持ちは普通の人と同じように生活が出来ているのに、貧乏人は薬も買えずに、徐々に弱って死んでいく。それなのに薬を作る側、提供す る側は金、金、金。彼らの頭には薬の「実用化」ではなく、「商業化」しか目がないんだな。

先進国が作った薬を安い値段で提供するために途上国が似た薬を作ると、特許権を盾に糾弾する。買えもしない薬を作ってどうなるっていうんだい。はぁ、なんか悲しい世界だ。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/12/28/20051228000032.html

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『ひまわり』

-ひまわりは澄み渡る青空を仰ぎ見る
いつかあの輝く太陽になることを 夢見ながら-

そう、だから私は そんなひまわりのようでありたい
幸福の光で 世界を照らしてゆくために

太陽は 今日も私へ光をたたえている
大きな影や黒い雲が光をさえぎるあの日も
たえず私に光を放っている
影や雲は その慈愛を感じられない 私の弱さだろう

だから今ここで誓おう!
ひまわりのように いかなるときも太陽を求めゆくことを
その光を成長の糧とし はるか空へと伸び行くことを

太陽は今 深い闇の中にある この地球を
平和の光で包もうとしている
だから私も 野に咲く一本の花として
小さな幸せと笑顔を 周りに与えていきます

今こそ太陽に感謝します
この地において その愛情を どこよりも感じるから
だれよりも 私は 高くまっすぐに伸びてゆきます

太陽が指し示してくれた 未来の新たな太陽となります
そうしていくことが 一番の恩返しだと思うから

今日も私は 青い空を仰いでいます
輝く太陽に心からの深い感謝を送りながら
今日も私は元気で笑顔でいます
そばにいる1人の人にささやかな幸せを捧ぐために

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僕の好きな言葉の一つは
孔子の論語の言葉で「従心所欲 不矩踰」です。
読みやすくすると「心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」と読むのですが、これでもまださっぱり意味がわかりませんよね。

論語では「三十にして而立、四十にして不惑、五十にして天命を知る」などは有名ですが、七十の「従心」は知らない人が多いみたい。僕も言葉だけは 知っていたけど意味がわかんなかったか調べてみると、「自分の思い通りに生きても、人の道を外すことがない」と言う意味らしいのです。

それってほんとにすごいな~って思う。自分がしたいことだけをしていても、誰も苦しめることもなく、社会のルールに背くこともなく、でも自分が幸せになれる。そして自分のためにした行動を通じて周りの人すらも幸せに出来ているんだろうなっておもう。

人の中で生きることは難しいから、周りに合わせるために自分を殺したり、自分を通そうと思えば誰かを傷つけたり、誰かの評価を気にして生きたりし ないといけないときもある。でもそんなわずらわしさを超えて、本当の知性を手に入れたとき、自然と自分の幸福と周りの幸福が一致する。自分の幸福のための した行動が誰かを幸福にし、誰かの幸せのためにした行動が自然と自分も幸福にする。
そういう境地に至ることが出来れば、どれだけ幸せなのだろうかっておもう。

おいらまだ21歳。孔子が70歳でそうなれるようになったのだと言うのだからまだまだ出来てなくて当然なのだろうけど、いつかはその境地に至りたい。

そのためには勉強、そしていろんな経験をしないとね。人生の幸も不幸もしっかりと見つめて、成長しないとね。そのための今。まけたらあかん。がんばれ、おれ。がんばろう、みんな。

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カウンター
プロフィール
HN:
Junya Tanaka
性別:
男性
職業:
NGOスタッフ/参加型の場づくり研究・実践家
自己紹介:
青山学院大学の社会人大学院社会情報学研究科ヒューマンイノベーションコースで参加型の場づくり、ワークショップデザイン、ファシリテーションなどについて研究をしながら、震災関連の仕事をしています。

2007年5月南カルフォルニア・オレンジ郡にある4年制教養大学を卒業しました。その後にすぐにイギリスの大学院に行くつもりが、もろもろの事情でいかないことにし、日本に帰国しました。なぜかいまだに日本にいます。人生思ったようにはならないです(笑)
後悔はしていませんが、試行錯誤です。

2011年5月にまたまた転職しました。震災関連の仕事をするためにアメリカ系のNGOで働き始めました。

また休日や平日の夜にはイベントや会議や参加型のプロセスのデザインやコーディネートをやったり、さまざまな研修や会議のお手伝いをしてます。ご関心があればお声掛けください。こういう研修ってふつう結構高いので、学生が参加できる金額でやれたらなと思っています(参加費応相談)
◇参加型ファシリテーション入門編ワークショップ
◇傾聴力ワークショップ
◇アイスブレーキング体験学習ワークショップ
◇開発と気候変動を考える参加型ワークショップ
<現在企画中>
▽発問力ワークショップ
▽ワークショップデザインコース
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