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コミュニケーション・ラボラトリーの公式ブログです。イベントの告知のほか、いままで書き溜め、Mixiなどで公開していた文章なども公開していきます。
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勉強が結構しんどかったので、続きが書けていませんでしたが、早く続きを!という声があったのでがんばって書いてみたいと思います。長いです気をつけて。

<その1から>
こうしてさまざまな準備を整え、万全の体勢でオランダ・ドイツに向かう予定でした。ですが思わぬ事態が起こり、行くかどうか迷いはじめてしまう僕がいました。

<その2>
それは出発前日の夜のこと。この日に世界ウルルン滞在記・再会スペシャルの放送があり、東ちづるさんの4回目のドイツ平和村の訪問となることは知っていた。平和村の日本人スタッフの方が事前に連絡をくれていたからでした。

この放送を見て僕の心は大きく揺らぐことになる。
東さんがスタッフを熱い抱擁を交わし、またドイツの街中のいろんなところで募金活動が続いているかを見て周り、そして平和村でリハビリを受ける子ども達と交流する。今までの3回と変わらない様子。変わらない風景。それなのに僕の心は動揺していた。

スタッフの方の話によると子ども達が平和村に滞在する期間はおよそ半年。入る時期は違っていてもだいたいそれぐらいの期間でもともと住んでいたと ころに帰ることとなる。このときの放送でも、平和村で仲良くなった二人が離れ離れになってしまうのを嫌がって泣いている様子が映し出されていました。施設 の許容量と需要の多さから考えればそれは仕方のないこと。だからいままでの3回の放送で紹介された子ども達はもうすでに平和村にはいない。そしてこの4回 目の撮影は12月の初旬に行われていたので、いまテレビに映っている子ども達は、僕が訪問するときにいるんだ、と言う事実を改めて突きつけられる思いでし た。

顔の半分が焼けただれた少年。ひざから先がない子。目が見えない子。ひじから先がない子。次々と映し出される子ども達を食い入るようにみつめなが ら、僕の頭の中には不安が募っていった。「彼らにあって僕はどんな顔ができるのだろうか。彼らは僕を見てどんな顔をするのだろうか」。彼らから見れば、僕 は観光中の日本人。裕福で、戦争の恐怖もない国から、興味本位でやってきた子ども。彼らは見世物じゃない。

彼らのために何かができないかとあんなにもいろいろ準備をしてきたのに、そんな思いはすべてふっとんで、不安に変わってしまった。「どんな顔して 彼らに会えるのだろうか」と。もちろんそんな不安はだれにも打ち明けることもなく抱えたまま、翌日、僕は飛行機に乗って日本を発ったのでした。

オランダについてからは、正直楽しみました。アムステルダムの町並みはきれいだし、風車を見に行ったり、木彫りの靴をお土産に買ったりと。ま、そういう話は割愛します。

そして平和村に行く当日。友達のお父さんの車に乗って移動すること5時間ほど。友達の家は比較的国境に近かったので思っていたほどはかからなかっ た。国境でお金をマルクに少しだけ変えて(3日後の1月1日からユーロが使用され始める予定でした)、一路、平和村のある地域へと向かった。その車中、僕 の不安はどんどんと高まっていくのをひしひしと感じていました。

「どんな顔をしよう。なんて声をかけよう。どう思われるだろう」。今にも引き返しましょうと言い出しそうになりながら、まさか言えるわけもなく、どんどんと平和村に近づいていったのです。そして僕達はついに看板を見つけ、敷地内に入って行きました。
一歩一歩踏み出すたびに、胸の鼓動は高まり、緊張で手が震えていった。寒いせいもあったのだろう。雪もちらほら降ってきていた。駐車場から施設らしき建物を見つけ、入り口が目に入った。

その時、、、、












ワーッと言う歓声とともに、何人もの、いや何十人もの子ども達が建物から出てきたのでした。僕は何が起こっているのかもわからないまま、ただあ然 としてその様子を見つめていました。お昼すぎに着くと伝えただけなので、出迎えなんかあるわけないし、もし伝えたとしてもそんなものを予想すらしてなかっ た。

真相は空から降ってきた雪。なんとそのとき降り出した雪は、ドイツでその年の初雪だったのです。お昼ごはんを食べ終わって、雪を見た子ども達がい てもたってもいられなくなって外に飛び出してきたのです。彼らのほとんどは乾燥した中東地域から来ている。半年ほどしかドイツに滞在していない彼らにとっ て、今日その日の雪が、人生にとって初めての“雪”との対面だったのです。

そんな彼らが、楽しそうに、笑顔いっぱいで、雪とじゃれあい、雪合戦をしたり、山を作ったり、見ず知らずの僕に雪だまをうれしそうに投げてくる子 どももいました。そんな様子を見て、僕が出発前から抱いていた不安がどれほどちっぽけなものなのか実感した。雪で遊ぶ子ども達の中には出発前にテレビで見 た、腕のない子も、頭が半分焼けた子も、足に怪我をした子もいました。それもすごいあふれんばかりの笑顔で。

その時、僕はおもったんです。僕が持っていた不安は、僕が彼らのことを「かわいそうな子ども」だと見下していたからなんだと。もちろん怪我をし て、治療を受けなくてはならない境遇は辛いかもしれない。でもそれはイコール不幸ではない。彼らはこの平和村によって、戦争や地雷の恐怖から少しずつ解放 され、こうして無邪気に笑顔を作れるくらいにまでなっている。

初雪が生んだ偶然は、僕の中の不安をすべてかきけして、決意へと変えてくれました。僕は子ども達の“この笑顔”を守りたい、と。
戦争や貧困のせいで、笑うことすら忘れてしまった子ども達がいる。
そんな子どもたちに笑顔を取り戻させようとする平和村のようなさまざまな機関がある。
でも、こんなケアを受けることができていない子どもが世界にはもっとたくさんいる。

僕がしたいこと。それは彼らの笑顔を取り戻すこと。彼らを見下すことなく、同じ人として尊敬しながら、彼らの笑顔を守ること。そのあと平和村の施 設見学とかスタッフとお話しよりも、この出会いが強烈すぎました。もちろん細かな問題や事情を聞くなかで、具体的に考えるきっかけとなりました。

平和村はちいさなNGOです。費用は日本などからの支援でまかなっていて、スタッフも数えるほど。そんなちいさなNGOが最前線に立って子ども達 を守っている。そんなNGOがいっぱいある。そのほとんどがお金に困っている。物がなくて困っている。もっと多くの子どもを守る方法を知っているのに、そ れができずに歯がゆい思いをしている。

日本にいて、NGOなどの活動をしていると、なかなか見えてこないこうした実情。知ることができて、物事を見極めるための視点が増えた気がする。 何よりもNGOの活動によって、実際に守られた笑顔を見ることができたことが何よりだった。日本にいると情報だけでなかなか見えてこない。リアルなお金の 問題と美談ばかりが飛び交っているから。

さぁ、問題はこれから僕がどうするか。今は勉強。立派になって、多くの子どもの笑顔を守れる人になりたい。それとともに、こうした思いをもっともっと多くの人に広げていきたい。


~ドイツ国際平和村編~終

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プロフィール
HN:
Junya Tanaka
性別:
男性
職業:
NGOスタッフ/参加型の場づくり研究・実践家
自己紹介:
青山学院大学の社会人大学院社会情報学研究科ヒューマンイノベーションコースで参加型の場づくり、ワークショップデザイン、ファシリテーションなどについて研究をしながら、震災関連の仕事をしています。

2007年5月南カルフォルニア・オレンジ郡にある4年制教養大学を卒業しました。その後にすぐにイギリスの大学院に行くつもりが、もろもろの事情でいかないことにし、日本に帰国しました。なぜかいまだに日本にいます。人生思ったようにはならないです(笑)
後悔はしていませんが、試行錯誤です。

2011年5月にまたまた転職しました。震災関連の仕事をするためにアメリカ系のNGOで働き始めました。

また休日や平日の夜にはイベントや会議や参加型のプロセスのデザインやコーディネートをやったり、さまざまな研修や会議のお手伝いをしてます。ご関心があればお声掛けください。こういう研修ってふつう結構高いので、学生が参加できる金額でやれたらなと思っています(参加費応相談)
◇参加型ファシリテーション入門編ワークショップ
◇傾聴力ワークショップ
◇アイスブレーキング体験学習ワークショップ
◇開発と気候変動を考える参加型ワークショップ
<現在企画中>
▽発問力ワークショップ
▽ワークショップデザインコース
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