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コミュニケーション・ラボラトリーの公式ブログです。イベントの告知のほか、いままで書き溜め、Mixiなどで公開していた文章なども公開していきます。
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単なる自分への記録的な文章なので、興味ない人はスルー推奨です。

2007年の5月の末にアメリカの大学を卒業して日本に帰ってきてから早1年半となる。この選択に至るまでには紆余曲折があったし、自信を持って選択したわけでもなかった。

大学4年の途中まで、自分は卒業後に大学院に行くものだと心に決めていたし、実際にその準備をずっとしていた。
転機があったのは、あれは大学4年の10月くらいだったろうか。

当時の僕は教育によっていかにして「行動的市民(Active citizen)」を育成するのかというテーマを勉強したいと考えていて、NGOなどの市民社会活動が活発で、教育機関と提携しているイギリスの大学院に行こうと思っていた。
第一志望はケンブリッジ大学大学院の「政治、民主主義と教育(Politics, Democracy and Education)」という一年間の修士プログラムだったのだが、ある日このプログラムのウェブサイトを見ていると、
「このプログラムは教授の入れ替わりにより、2007年-08年はキャンセルとなりました」というお知らせがあった。

かなりショックだった。第二志望以下も何個かのプログラムが候補としてあったのだけど、第一志望を受けることもせず、第二志望以下に行くことになんとなく抵抗があった。

そこで、一度日本に戻り、市民社会活動を経験するという選択肢が思いついたのだった。自分の受けたいプログラムを考えたときに、しっかり自分で市 民社会活動を体験し、課題や問題点を感じておいた方が、より1年間のプログラムの中で有効に学べると思ったからだった。高校の頃から子どもの権利について 活動をしていたが、大学4年間では学内の活動が中心だったので、自分が市民社会活動についてしっかりとした経験があるとは胸を張ってはいえなかったからで もある。

ちょっと前まで一緒に院を目指していたメンバーがどんどんと願書を出し、合格を勝ち取っている中で、取り残されているような気分もあった。
次の道筋がはっきりしていない状態で、いまの自分の生活にピリオドが打たれようとしているのは正直、違和感があった。それでも僕はその道を選択した。

卒業して日本に帰ってきて、NGO業界で働き口がないか探した。
最初からすぐ働くのは無理だろうし、インターンとかで始めれる場所がないかアンテナを巡らせた。
そうしてひとつのNGOでインターンをし始めたのだけど、ずっとそこにいるわけでもないと思ったので、ほかの働き口もいろいろ探した。でもNGOは人でが足りないわりに、即戦力ばかり求めていて、いくら語学力があっても、仕事として働けるところはほとんどなかった。

そんな中で、高校時代からお世話になっていた森田明彦さんに、2008年のG8サミットに向けて、若い子たちがいろいろ企画しているというお話を 聞いた。なんだかわからないけどとりあえず話だけ聞きに行こうと思って行ったのが、まだ形もできあがっていない「Japan Youth G8 Project」だった。

まさかあの頃は1年もこのプロジェクトに関わるとは思ってもいなかった。
それからたくさんの出会いがあり、膨大な時間を使って議論を重ねた。

若者としてグローバルな問題に声を発信するなんて正直あんまり考えていなかったけど、それは自分が考えていた「行動的市民」という像と重なった。
ほんとに暗中模索だったけど、ここでプロジェクトを経験することが後々の自分にとっていいような気がした。それは直感だったし、ある意味求められているところに安住してしまった感もある。
やっている最中はほんとに不安だらけだったし、回りにも心配を掛けたと思う。でも振り返ってみればそれは良かったことなんだなと、そんな気がする。

プロジェクトの企画の中で、やりたかったことの5分の1もできなかった気がする。G8サミットに向けて若者でサミットを開くことはできたし、提言 書も作って提出はできた。それはすべてやりたかった規模や形どおりにはいかなかった。その後に残したかった若者のネットワークも結局は現段階でできるよう にはならなかった。
それでもたくさんの人と出会えて、たくさんのことを学んだことはかけがえのないと言える。

一年間費やしたプロジェクトは7月の洞爺湖サミット終了で解散し、僕には何もなくなった。一年間やり続ければ、なにか次のきっかけが見えるかもしれないと淡い期待をしていたけど、それほど甘いものではなかった。
結局は自分で決断しなければならなかった。

その時点で院に行くか、NGOで働くか考えた。
院なら海外だし、NGOなら日本でも海外でもよかった。
で、結局日本に残ることにしたのだけど、その一番の原因は、やっぱりやり残した感があったからだった。一年間たくさんの人とであって、いろいろな ことを語り合い、何かができるようなそんな感覚を得れた。いままた海外にでてしまうことで、そのつながりはまた無くなってしまうような気がしたのかもしれ ない。

それで7月の後半から9月まで海外を含めていろいろなNGOなどに申請した結果、最終的に今働いている国際協力NGOでお世話になることになり10月から働き始めた。

仕事はまだまだわからないこともたくさんあるし、学んでいる最中だからなんでもやらせてもらえるわけではないし。でも所属しているチームは国際機関とかから仕事を受けていて、自分がしたいと思えることも将来的にはできるかもしれない。

この1年半はとっても早かった。ジェットコースターみたいにことが進んだ。
ほんと大学4年で卒業するころには想像もしない1年半だった。
2009年、しっかりと地に足つけて、学べるものを学びきっていきたいです。

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挑戦しているといえるのだろうか。

昔の自分を思い出して、「あの頃のオレはもっとすごかった」っていう思いに駆られることが多々ある。

それはゴールデンメモリー(過去を美化しようとしてしまう心の作用)のせいだけではないし、もちろんそれは能力的な話ではないと思う。中学、高校、大学と確実に自分は成長してきたはずだし。

でも、今の自分と比べて、過去の自分が勝っているとはっきり言えるのは、「何かに挑戦している」その様なのかなって思う。

いまの自分は挑戦しているのかな。

できないと言われたことに取り組んだり、

だれもやったこともないことを始めたり、

誰よりも早く達成しようとしたり。

過去の自分の人生を振り返ってみたら、金太郎飴のように挑戦している自分がいるような気がする。

いまの自分はどうかな?

来年でも、3年後でも、5年後でも、10年後でも、30年後でも良いけど、

その時になっていまを思い出して、

「あの頃のおれってすごかった」ってその時のおれを励ませるような

そんな24歳の田中絢也でありたい。

なんか今日、そう思いました。

2009年のテーマは多分「挑戦」になるかと思われます。

以上。

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どこぞのスポーツメーカーのキャッチフレーズですが。
「できないことなんてない」
この言葉に条件反射的に「そんなこと言ったって」って思ってしまう人もいるかもしれない。
"できる"人に対して「それはあなただから言えるんじゃないか」って。
でもそもそも"できる"ってなんなのさって話しで。

impossible is nothingって言葉を信じれるかどうか。
それはものの見方をシフトさせることでできるんじゃないかってそう思う。

人が「できない」って思う要因はなんなのか。それはお金であったり、人手であったり、時間であったり。これらって突き詰めていくと全部「時間」に集約されていく。
お金や人手を集める作業もプロセスに含めてしまえるから。

つまるところ「できない」っていう概念は"与えられた時間内/決められた期限内"では「できない」ということでしかない。

「できる/できない」の判断を"能力"から"時間"に転換すること。これが一番大切なことだって思う。

"能力"というものは、やりたいことを達成するために必要な"時間"を短くできる要素に過ぎないのだから。

なんでこの転換が大事だと思うのかというと「できる/できない」の判断基準が"能力"なら、能力が低いと自分で思っている人は「じゃあ、やらない」ってなってしまいかねない。でも基準が"時間"なら、「人より二倍、三倍かかってもやってみよう」ってなるじゃない。
限られた時間のなかで何かを達成しなければいけないときも、「できない」じゃなくて「できるけど時間がかかる」って考えることが大事なんだと思 う。そう考えることで「じゃあこの時間内ならこれぐらいにスケールダウンすればできる」ってなるし、なにより時間をかければできるって考え方は、作業効率 をよくして無駄な時間をなくせばいいっていう意識付けにつながるから。

「時間をかければなんでもできるって言ったって、私にフランス料理はつくれない」って思う人もいるかもしれない。たしかにあることを為すために特殊な技能や才能もいるかもしれない。でも全部自分でやらなくてもいいんだって思えばいい。

為すための技能を自分が持ってないなら、持っている人とつながればいいのだから。

「人脈」というのも時間をかけて醸成できるものだから。

まぁつまり何が言いたいかって言ったら、要はみんな「できる人」だってことですよ。

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前に書こうとして、中途半端にしか書けなかったことを、いろいろ付け足しながらちゃんとかいてみようかと思います。

最近「浅野いにお」っていう漫画家の作品が結構お気に入りです。そんなにメジャーじゃないけど、好きな人は多いみたいで、ビレッジバンガードでは店員の気合の入った紹介文が読めます。
彼のスタイルで一番すきなのは彼の短編集でよく使われる「群像劇」です。

特定の主役がいるわけではなく、いろいろな登場人物の目線で、それぞれのストーリーが展開していくような。それぞれ別の視点なんだけど、お互いに小さかったり大きかったりする接点があって、その別の人物の視点で時間軸と場所が重なり合ったりするのが楽しい。

そういうストーリーを書くのは、普通以上に構成力が必要だし、ストーリーを一本のラインではなく、複数のラインが絡み合う話を想像(創造)しながら、どの時間軸と場所を描写することで全体のテーマを描き出すかっていう発想力が必要なんだと思う。

だから下手な群像劇を読むと尋常じゃなく陳腐に感じるし、うまく書けた群像劇を読むと感動を覚える。

上遠野浩平が好きになったのも、デビュー作のブギーポップが群像劇的だったからだし。

こういう話を読んでいると、ヨーロッパを1人でバックパッキングしていたときの不思議な感覚を思い出す。

ルーマニアからハンガリーに向かう10時間以上の長距離列車の中で、止まったある駅で窓からみた光景。国境付近の何もない寂れた駅で、大荷物を持った若い男と、その人を取り囲むような老若男女の人々。

長い移動に暇をもてあました僕は、彼の今までとこれからの人生を想像してみる事にしたのだった。
田舎から家族の期待を背負って都会に出て行くのであろう若者の生い立ちと行く末を。

そうやって彼の人生を頭の中で仮に追体験してみると、彼の人生の一幕の中で、転機となる出発の瞬間に、彼の背後にある列車からぼーっとした顔で窓の外をのぞく東洋人がいた。
それは僕だ。

そうやって考えると、なんだか不思議な感じがした。僕が主人公の人生の中で、一瞬の登場人物に過ぎない彼がいて、その彼を主人公とした人生のストーリーでは、僕はセリフすらない背景のエキストラでしかない。

同じように、僕が日々の流れの中で、出会ったり、はたまた単にすれ違ったりする数え切れない人々にも、僕と同じように、自分を主人公にしたストーリーがあって、それが群像劇のように複雑に絡み合いながら日常が進んでいるということ。

それは本当に当たり前のことなのに、なぜか新鮮な気づきだった。

そんな気づきがあってから、日本に帰った後も、満員電車の中でとか、近くにいる人の人生を想像してみることがあった。

そんなときには、いらいらしたり、辛そうな顔をしている人をみると、昔よりも優しくなれるような気がした。仕事の帰りの電車で、疲れた僕を突き飛 ばしたやけにイラだったあのサラリーマンにも、前の僕であったら、単なる嫌な脇役でしかなくて、悪い感情しかわかなかったのに、彼の人生を想像すること で、会社で上司と部下の板ばさみなのか、家に帰ると子どもも奥さんとも会話がないのかもとか、勝手な想像だけどそんなこと考えていると、腹立たしくおもう 気持ちが、少しだけ、ほんの少しだけだけど和らいだりした。

逆に、他の人の人生の中で、自分というキャラクターがどんな風に登場しているのかを想像すると、意外なものが見えてきたりする。仕事で疲れてる、 やなことがあった時の僕っていうのは、僕からの視点でしかなくて、他の人のストーリーに一瞬しか登場しない僕のそんな背景には普通は想像などできない。だ から、その一瞬でしかないかもしれない出会いのも、少しは大事にできるかもしれない。

群像劇のように、いろいろな視点をもって、自分が主人公じゃない他の人のストーリーの観客にもなれれば、僕らはもっと他人に優しくなれるのかもしれない。

そんなことを思ったりしてしまうのは、なんだかこの街が切ないからかもしれない。

駄文を読んでくださり、ありがとうございました。好き勝手に書きたいこと書いただけなので、コメントは期待しておりませんが、なんか思ったことあったら残してくれたらうれしいっす。

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16歳くらいのときから、

「子どもの権利」というテーマに出逢って

「子どもの権利」について活動してきたけど

最近になって、「権利」とか「人権」っていうものに

なんとなく違和感を感じたりすることがあって

いわゆる「人権活動」っていうのをやっている人で

「難民」とか「先住民」とか「障がい者」とか、「マイノリティ(少数者)」の権利を扱っているのだけど

「子ども」ってマイノリティではないと思うのね

僕が「子ども」という問題に関心があるのは、子どもが好きだからっていうのもあるけど

子どもって、全ての人にとって通過する時期であるから

メジャー(多数)とかマイナー(少数)とかっていう問題じゃなくて、年代層の問題だから

幸せな子ども時代を過ごすことができる人は、人生として良いスタートを切ることができると思っているし、
人生というレースの中で、ハンディを負ってスタートしないといけない人がいることに違和感を感じるからであって

人権問題っていうのは本質的には

Universal human rights(普遍的人権)の概念を基にしていて

その普遍的であるべき人権を有することができていない特定グループが

有することができるようになるための活動なんだろうけど

なぜかみていると視野狭窄に陥ってしまっているような人が多い気がしていて

ちょっと自分とは一線を画してしまう

うーん、何が書きたかったんだろう

「権利」っていうことについてやっていると

「権利」ってなに?いつもぶち当たってしまって、

自分としてはそれなりになっとくできる答えが見つかった気がするのだけど

それを皆に伝えて納得してもらえるのかは疑問であって

僕は権利を守りたいのかな?って考えてしまったり

ふむ

多分、僕はChild rightsを守りたいのではなく、Child lifeを守りたいのかなって気がする

Life 生命なのか人生なのか どっちもなのだけど

Lifeっていうなら、なんとなストンと落ちる気もする

まぁだからなんなんだっていうわけではないのだけど

子どもの権利についてやっている、というのはやめて

自分は子どもの問題について活動してるというようにしてみようかなと思ったりしてみた

それがなにか変化を生むのかわかんないけどね

なんかよくわかんない

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※注(この文章はかなり長いです。自分にとっての記録として書いた部分が大きいし、あんまり僕という人間に興味がないのであれば、無理して読むことはない かもしれません。ただ読みきっていただけたなら、「読んだよ」ってリアクションもらえると、ふらっと来て読まずに帰った人と区別がつくのでありがたいで す。)


イチローが今日、メジャーリーグでタイ記録となる8年連続シーズン200本安打を達成しました。

野球のことあまり知らない人にとっても、同じ8年連続の記録を持つのが100年以上前の選手で、しかも今よりもルールが打者にとって有利であったと聞けば、どれほどすごい記録なのか、なんとなくは伝わるかもしれない。

僕にとってイチローとは、もっとも尊敬するアスリートであるとともに、人間「イチロー」として尊敬し、惹かれるものがある。スポーツマンではない自分にとっては、野球選手としての記録や偉業よりも、それを支える彼の人間性と生き方から学ぶものが大きい。

僕がイチローをスポーツ選手ではなく、人間として追うようになったのは糸井重里さんの「ほぼ日刊1101新聞」でのイチローと糸井さんのインタビュー対談がきっかけだった。
http://www.1101.com/ichiro/2004-03-23.html

もう4年半も前のこと。2004年の3月。僕は当時大学1年で、ある悩みにぶつかっていたときだった。それは自分にとってそれまで生きてきた19年間を覆すような悩みであって、一番苦しい時期でもあった。

そんな僕を救ってくれた、というか、ある「気づき」を与えてくれたのが、イチローの

「第三者の評価を意識した
生き方はしたくない。
自分が納得した生き方をしたい」
という一言だった。

衝撃が体を電流のように走った。それはまさしく自分が悩んでいたことだったから。
自分が選んできた人生の岐路において「人からどう見られるか」「人からどう評価されるのか」ばかりを気にして生きてきたんじゃないかと悩んでいた。自分で自分自身を評価することができずに、他人や社会からの評価で補っていた。じゃあ自分って?自分が本当にしたいことって?

イチローが歩んできた人生と僕の人生はまったく違う。エースピッチャーとして甲子園にも出たイチローは、そのバッティングセンスを買われて高卒 後、ドラフトでオリックスに入った。しかし彼独特のバッティングフォームを2軍で認めてもらえずに、1軍に定着しなかった。そこを彼の恩師でもある故仰木 監督に見初められ、バッティングフォームを変えなくてもいいと支持され、94年にそのバッティングフォームのまま一軍入り。そして日本プロ野球初のシーズ ン200本安打を達成した。彼はまだ21歳だった。

当時から、自分なりに信じれるやり方を追求し、周りからどう評価されようともそれを貫いた。自分が追求するものを正しく評価してくれる人に出会い、彼は世にも評価される実績を残した。
しかしそのとき、世間から評価されることで「ちょっと舞い上が」り、「自分を見失って」しまっていたと、イチローは後から振り返る。そして彼は自 分の感覚が掴めないまま、それでも世間的には評価されてしまう成績を残し、どんどんと自分を見失い、人には見えない「スランプ」に陥っていった。そのとき の彼が、あのころの自分と被るように思えた。


大学に入るまで、自分で自分を評価できなかった僕は、努力によって人から評価されるだけの「何か」を生み出そうとしていた。そしてそれはある程度成功していたのだと思う。だから問題を感じていなかったし、疑問も持たなかった。
努力をしてがんばったことが、みんなからも認められ、もっとがんばろうと思う。
それは一見至極当然のことで、そしてその渦中にいる自分に誰かが何かを言うわけではなかった。だからそれまで気がつけなかったのだと思う。自分の本質について。

大学に入って、ある程度努力したくらいじゃ、評価されなくなった。周りが自分以上に優秀だったし、求められているものも今までよりも格段に高く なった。そうなることで今まで気が付かなかった、自分の汚いところが見えてくるようになった。評価されている人への妬みや嫉み。頭では彼や彼女が自分より も努力をしていて、それだけの評価を受けているんだとわかっていた。でも心からそれを祝福できない、ちっぽけな自分がいた。
どんなにやりきったと思える論文でも、教授からの評価に臆病な自分がいた。
それとは逆に、中途半端だと思える内容でも、Aをもらって安穏としてしまう自分もいた。

イチローは
「自分がやっていること自体よりも、
世の中の人に評価をされることを
望んでいた自分がいた」
と言う。彼がそのまま世間の評価に踊らされ、評価されているというだけで感覚が掴めないままの自分に安住してしまっていれば、いまの彼はいない。

「評価されるため」の努力では限界がある。
「結果を残すために最大限の努力をする」のと
「最大限の努力をして、それがよい結果を生む」のは似ているようで根本的に違う。
前者は努力の最大限が評価によって頭打ちしてしまうが、後者の努力は自分次第でいくらでも追い求められる。結局人からの評価には不確定な要素が大きいし、環境や状況が変わればたやすく変わってしまう。自分で自分を評価する目があれば、そんなことはない。
もちろん他人からの評価や社会からの評価が、自分を測る基準のひとつであってもかまわないと思う。最終的な判断を下すのが自分自身であれば。

それまで人の目をごまかすことで、自分の目もごまかせているように思っていたけど、それはやっぱり違った。人の目はごまかせても、本当は自分の目はごまかせないのだから。

自分自身を追及していくなかで、結果として世界的に評価を受ける結果を残すイチローの姿は、決して結果を求めてある姿ではなく、客観的に自分を見つめる自分の目を持って、常に自分のスタイルを目指してきた証だ。

彼と僕は生きる場所も目標も違うし、そう簡単に人生が交わることもないだろう。でも彼の生き様、口先だけでない努力、そして哲学は自分にとってひとつのロールモデルとして輝いている。

いつか、もし、この先の長い人生の中で、イチローに出会うことができたとしたら、その時に「あなたのおかげで見失っていた自分を取り戻すことができた」と胸を張って言える、そんな自分でありたいなと思う。

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カウンター
プロフィール
HN:
Junya Tanaka
性別:
男性
職業:
NGOスタッフ/参加型の場づくり研究・実践家
自己紹介:
青山学院大学の社会人大学院社会情報学研究科ヒューマンイノベーションコースで参加型の場づくり、ワークショップデザイン、ファシリテーションなどについて研究をしながら、震災関連の仕事をしています。

2007年5月南カルフォルニア・オレンジ郡にある4年制教養大学を卒業しました。その後にすぐにイギリスの大学院に行くつもりが、もろもろの事情でいかないことにし、日本に帰国しました。なぜかいまだに日本にいます。人生思ったようにはならないです(笑)
後悔はしていませんが、試行錯誤です。

2011年5月にまたまた転職しました。震災関連の仕事をするためにアメリカ系のNGOで働き始めました。

また休日や平日の夜にはイベントや会議や参加型のプロセスのデザインやコーディネートをやったり、さまざまな研修や会議のお手伝いをしてます。ご関心があればお声掛けください。こういう研修ってふつう結構高いので、学生が参加できる金額でやれたらなと思っています(参加費応相談)
◇参加型ファシリテーション入門編ワークショップ
◇傾聴力ワークショップ
◇アイスブレーキング体験学習ワークショップ
◇開発と気候変動を考える参加型ワークショップ
<現在企画中>
▽発問力ワークショップ
▽ワークショップデザインコース
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