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コミュニケーション・ラボラトリーの公式ブログです。イベントの告知のほか、いままで書き溜め、Mixiなどで公開していた文章なども公開していきます。
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16歳くらいのときから、

「子どもの権利」というテーマに出逢って

「子どもの権利」について活動してきたけど

最近になって、「権利」とか「人権」っていうものに

なんとなく違和感を感じたりすることがあって

いわゆる「人権活動」っていうのをやっている人で

「難民」とか「先住民」とか「障がい者」とか、「マイノリティ(少数者)」の権利を扱っているのだけど

「子ども」ってマイノリティではないと思うのね

僕が「子ども」という問題に関心があるのは、子どもが好きだからっていうのもあるけど

子どもって、全ての人にとって通過する時期であるから

メジャー(多数)とかマイナー(少数)とかっていう問題じゃなくて、年代層の問題だから

幸せな子ども時代を過ごすことができる人は、人生として良いスタートを切ることができると思っているし、
人生というレースの中で、ハンディを負ってスタートしないといけない人がいることに違和感を感じるからであって

人権問題っていうのは本質的には

Universal human rights(普遍的人権)の概念を基にしていて

その普遍的であるべき人権を有することができていない特定グループが

有することができるようになるための活動なんだろうけど

なぜかみていると視野狭窄に陥ってしまっているような人が多い気がしていて

ちょっと自分とは一線を画してしまう

うーん、何が書きたかったんだろう

「権利」っていうことについてやっていると

「権利」ってなに?いつもぶち当たってしまって、

自分としてはそれなりになっとくできる答えが見つかった気がするのだけど

それを皆に伝えて納得してもらえるのかは疑問であって

僕は権利を守りたいのかな?って考えてしまったり

ふむ

多分、僕はChild rightsを守りたいのではなく、Child lifeを守りたいのかなって気がする

Life 生命なのか人生なのか どっちもなのだけど

Lifeっていうなら、なんとなストンと落ちる気もする

まぁだからなんなんだっていうわけではないのだけど

子どもの権利についてやっている、というのはやめて

自分は子どもの問題について活動してるというようにしてみようかなと思ったりしてみた

それがなにか変化を生むのかわかんないけどね

なんかよくわかんない

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※注(この文章はかなり長いです。自分にとっての記録として書いた部分が大きいし、あんまり僕という人間に興味がないのであれば、無理して読むことはない かもしれません。ただ読みきっていただけたなら、「読んだよ」ってリアクションもらえると、ふらっと来て読まずに帰った人と区別がつくのでありがたいで す。)


イチローが今日、メジャーリーグでタイ記録となる8年連続シーズン200本安打を達成しました。

野球のことあまり知らない人にとっても、同じ8年連続の記録を持つのが100年以上前の選手で、しかも今よりもルールが打者にとって有利であったと聞けば、どれほどすごい記録なのか、なんとなくは伝わるかもしれない。

僕にとってイチローとは、もっとも尊敬するアスリートであるとともに、人間「イチロー」として尊敬し、惹かれるものがある。スポーツマンではない自分にとっては、野球選手としての記録や偉業よりも、それを支える彼の人間性と生き方から学ぶものが大きい。

僕がイチローをスポーツ選手ではなく、人間として追うようになったのは糸井重里さんの「ほぼ日刊1101新聞」でのイチローと糸井さんのインタビュー対談がきっかけだった。
http://www.1101.com/ichiro/2004-03-23.html

もう4年半も前のこと。2004年の3月。僕は当時大学1年で、ある悩みにぶつかっていたときだった。それは自分にとってそれまで生きてきた19年間を覆すような悩みであって、一番苦しい時期でもあった。

そんな僕を救ってくれた、というか、ある「気づき」を与えてくれたのが、イチローの

「第三者の評価を意識した
生き方はしたくない。
自分が納得した生き方をしたい」
という一言だった。

衝撃が体を電流のように走った。それはまさしく自分が悩んでいたことだったから。
自分が選んできた人生の岐路において「人からどう見られるか」「人からどう評価されるのか」ばかりを気にして生きてきたんじゃないかと悩んでいた。自分で自分自身を評価することができずに、他人や社会からの評価で補っていた。じゃあ自分って?自分が本当にしたいことって?

イチローが歩んできた人生と僕の人生はまったく違う。エースピッチャーとして甲子園にも出たイチローは、そのバッティングセンスを買われて高卒 後、ドラフトでオリックスに入った。しかし彼独特のバッティングフォームを2軍で認めてもらえずに、1軍に定着しなかった。そこを彼の恩師でもある故仰木 監督に見初められ、バッティングフォームを変えなくてもいいと支持され、94年にそのバッティングフォームのまま一軍入り。そして日本プロ野球初のシーズ ン200本安打を達成した。彼はまだ21歳だった。

当時から、自分なりに信じれるやり方を追求し、周りからどう評価されようともそれを貫いた。自分が追求するものを正しく評価してくれる人に出会い、彼は世にも評価される実績を残した。
しかしそのとき、世間から評価されることで「ちょっと舞い上が」り、「自分を見失って」しまっていたと、イチローは後から振り返る。そして彼は自 分の感覚が掴めないまま、それでも世間的には評価されてしまう成績を残し、どんどんと自分を見失い、人には見えない「スランプ」に陥っていった。そのとき の彼が、あのころの自分と被るように思えた。


大学に入るまで、自分で自分を評価できなかった僕は、努力によって人から評価されるだけの「何か」を生み出そうとしていた。そしてそれはある程度成功していたのだと思う。だから問題を感じていなかったし、疑問も持たなかった。
努力をしてがんばったことが、みんなからも認められ、もっとがんばろうと思う。
それは一見至極当然のことで、そしてその渦中にいる自分に誰かが何かを言うわけではなかった。だからそれまで気がつけなかったのだと思う。自分の本質について。

大学に入って、ある程度努力したくらいじゃ、評価されなくなった。周りが自分以上に優秀だったし、求められているものも今までよりも格段に高く なった。そうなることで今まで気が付かなかった、自分の汚いところが見えてくるようになった。評価されている人への妬みや嫉み。頭では彼や彼女が自分より も努力をしていて、それだけの評価を受けているんだとわかっていた。でも心からそれを祝福できない、ちっぽけな自分がいた。
どんなにやりきったと思える論文でも、教授からの評価に臆病な自分がいた。
それとは逆に、中途半端だと思える内容でも、Aをもらって安穏としてしまう自分もいた。

イチローは
「自分がやっていること自体よりも、
世の中の人に評価をされることを
望んでいた自分がいた」
と言う。彼がそのまま世間の評価に踊らされ、評価されているというだけで感覚が掴めないままの自分に安住してしまっていれば、いまの彼はいない。

「評価されるため」の努力では限界がある。
「結果を残すために最大限の努力をする」のと
「最大限の努力をして、それがよい結果を生む」のは似ているようで根本的に違う。
前者は努力の最大限が評価によって頭打ちしてしまうが、後者の努力は自分次第でいくらでも追い求められる。結局人からの評価には不確定な要素が大きいし、環境や状況が変わればたやすく変わってしまう。自分で自分を評価する目があれば、そんなことはない。
もちろん他人からの評価や社会からの評価が、自分を測る基準のひとつであってもかまわないと思う。最終的な判断を下すのが自分自身であれば。

それまで人の目をごまかすことで、自分の目もごまかせているように思っていたけど、それはやっぱり違った。人の目はごまかせても、本当は自分の目はごまかせないのだから。

自分自身を追及していくなかで、結果として世界的に評価を受ける結果を残すイチローの姿は、決して結果を求めてある姿ではなく、客観的に自分を見つめる自分の目を持って、常に自分のスタイルを目指してきた証だ。

彼と僕は生きる場所も目標も違うし、そう簡単に人生が交わることもないだろう。でも彼の生き様、口先だけでない努力、そして哲学は自分にとってひとつのロールモデルとして輝いている。

いつか、もし、この先の長い人生の中で、イチローに出会うことができたとしたら、その時に「あなたのおかげで見失っていた自分を取り戻すことができた」と胸を張って言える、そんな自分でありたいなと思う。

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自分は「子どもの人権」について関心があり、そのことを中心に調べ物をしたり、啓発活動に参加したりしてきた。それがこの一年、日本に帰ってきてから、いわゆる環境問題に取り組む人たちと関わるようになって、その問題について知識も増えてきた。

本来の自分の関心とは、ちょっと違うものに飛び込んでみたとき、自分の本質についてもっとよくわかったりすることがあったり、違う角度から物事を見ることで、新しい気付きがあったりする。

今年初めてエコ・リーグの全国ギャザリンク(通称8G,今年の開催地は関ヶ原)に参加して、そういうような体験を得ることができたかなと思った。


知らない人のためですが、エコ・リーグというのは環境問題について活動する若者の全国的なネットワークです。それぞれの地域で環境団体に入って活 動などをしている人たちが、エコ・リーグというネットワークを通じて、他の団体、他の地域がやっていることを知り、刺激を得たりしています。団体のネット ワークではなく、個人のネットワークであるというのが、一つのポイントです。もちろん環境団体に所属している人が多いですけど。※終わり

環境問題といっても、さまざまなアプローチがあります。その中でも、僕らが前に青年サミットでやったような、いわゆる政策提言(アドボカシー)をやっているところは少なく、多くはリサイクルやゴミの分別、また環境教育といったような「啓発」の活動が多いのかもしれない。

僕がギャザリングのなかでやったことは、主に三つです。

1.通訳
2.ファシリテーション講座
3.環境問題に、人権や開発の視点を注入する
といったことです。なんかこうかくと、偉そうですね。

通訳は、今年は「東アジア環境フォーラム」と合同で行ったので、8Gに初めて海外のメンバーが参加しました。ヘルパー程度でしたが、海外の参加者と日本人参加者の橋渡しをしました。

ファシリテーション講座については、夜の自主企画(参加者が自分でお題を出して、希望者で行う自由な時間)で提案しました。
「日本の活動におけるファシリテーションの8割は間違っている」というアピールに魅かれたかはわかりませんが、20人位の人が参加してくれまし た。団体やイベントを運営したりする上で、問題意識を持ってくれた子が多かったのだと思う。参加してくれた人たちから「面白かったです」「役立てます」と 言ってもらえたのが嬉しかったです。

最後に環境問題に人権や開発の視点を注入するということなのだけど、
プログラムの最後の方で、新しいプロジェクトを始めよう、というような時間があったので、最近リサーチを始めた「気候変動の途上国の子どもたちへの影響」という問題について何かできないかといろんな人と話すことができました。
その中で面白いなと思ったのが、その話し合いに参加したメンバーから「環境活動に関わっているけど、『なんのために』が抜けていたんだと気付けた」と言われたことです。

僕は人権問題とか貧困の問題に関わっているから、『なんのために』というのは大体、その問題で苦しみ人たちがいて、彼らを救いたいからなんです。そこに「痛み」や「悲しみ」があるから、それを取り除きたいと思うんですね。
で、環境活動の場合は、対象が「森」とか「山」とか「海」とか「自然」であったり「地球」そのものだったりするのだろうけど、みんながみんな「地球の痛みや悲しみ」を感じ取れて、それらを取り除きたくて活動をしているわけじゃないんだろうね。そういう人もいるだろうけど。

自然は破壊されたり、汚染されたりすることそのものに反応している人もいるけど、本質的には「そこに生ける人や動物のLife(生活・生命)」もしくは、未来に生きる自分たちの子どもたちのための生きる環境を守るためなのかもしれない。

僕は気候変動の問題について知っていく中で、「二酸化炭素の排出」とか「クリーンエネルギー」とか地球温暖化を止めるために議論はたくさん聞いて きた。地球の温暖化が止まらなければ、たしかに僕たちの未来はないかもしれない。でも、いまから頑張っていろいろやったとしても成果が出るのは2050年 とからしい。

いまも、急激な気候の変化の中で、たくさんの人が生活を脅かされている。ツバルの海面上昇による水没の話は有名で、だれもが「だから地球温暖化を 止めなくてはいけない」と声高に訴える。でもそうやってできた環境政策が効果を出す頃には、確実にツバルは存在していない。そこにいける人々を置き去りに してしまっている。そう感じた。

だから僕は地球温暖化を止めるための議論と同じくらい、いま気候の変化で生活を脅かされてしまっている人たちをどう救うのかを議論しなくちゃいけないと思う。でも、そういう議論はほとんどされていないのが現実で。
僕自身は、やっぱり子どもの権利について関心があるから、環境問題そのものより、「この急激な環境の変化から子どもたちをどう守ることができるの か」という視点を持つことができた。僕が子どもにこだわる理由は、子どもにとって優しい社会は、すべての生命に優しい社会であれるっていう思いがあるか ら。

いままでと違った世界に飛び込んでみて、やっぱり自分の本質がそこにあるっていう再確認と共に、それがいま、一番やらなくちゃいけないことなのに、無視されていることなんだという新しい気付きがあった。

なんにせよ、自分が一人じゃない、って思えたこと、そしてやらなきゃって背背中をおしてもらえたことが大きな収穫でした。

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僕の情報源のひとつであるCRIN(Child Rights Information Network)でロマについての特集が載っていました。スペインに行った時くらいから、なぜかロマの歴史と人権問題に興味を持つようになり、ひそかに情 報を集めたり、気にしたりとかしていました。

http://www.crin.org/email/crinmail_detail.asp?crinmailID=2886

そもそもロマって知っていますか?

日本ではまだ一般的に「ジプシー」と呼ばれるほうがメジャーなのかもしれません。
なんとなくエスニックなイメージのただようあの民族です。

しかし、ジプシーと呼ぶのは実は間違いで、グローバルスタンダードではロマ(Roma)といいます。
これは本来、北インドのロマニ系民族がヨーロッパに移動したのが現在のロマの祖先なのですが、エジプトから来ていると誤解があり、エジプシャン(エジプト人)から崩れてジプシーと呼ばれるようになったのです。
アメリカ先住民族がインディアンと呼ばれていたのと同じような理由ですね。
なんでみなさんこれを機会に「ロマ」という名前を覚えてみてください。

彼らはヨーロッパを中心に800万人から1000万人いるといわれ、ヨーロッパ最大の少数民族(エスニックマイノリティ)です。最大の少数ってなんか矛盾を感じますが、間違いではないです。

彼らは歴史の中で迫害と追放に遭い続け、その多くが遊牧生活を行い、ヨーロッパ全土に広がりました。民族として国土を持たず、迫害されながら生きる彼らのその一生を、僕には想像すらできません。

とりわけナチスドイツの支配下では、ユダヤ人を同じように虐殺の対象となり、ホロコーストに連れて行かれました。しかしユダヤ人の虐殺を知っている人たちも、ロマの虐殺については知りません。

多くが法治国家となった現在でも、まだロマの人々に対する差別や迫害は続いています。
イタリアではロマの子どもは犯罪予備軍と見られ、今年の5月に彼らの指紋採取が義務付けられる法律が通りました。
チェコではロマの子どもが不当に知的障害者扱いされ、特殊学校行きが命ぜられました。
スコットランドでは9歳ぐらいのロマの移民の子が買春をさせられています。

どんな歴史があったにせよ、どんな民族に生まれたにせよ、子どもたちが差別されるような社会ではいけないと心から思う。
ほとんどの日本人にとって「ロマ」という民族は、いないも同然かもしれない。

今の僕に、彼らにとって何ができるわけじゃない。無力だ。

でもほかの誰が知らなくても、自分はちゃんと知っていようと思う。
いつか彼らと会うことができたらいいなとも、思ったりする。
早く力をつけたいってやっぱり思う。

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これは僕が大学3年の8月14日、終戦記念日の前日に自分の大学の学生に向けて流したメールを日本語に訳したものです。せっかくなんで転記します。

***********************************

明日は8月15日、それは日本人にとって第二次世界大戦が終わった日です。ほかの国の人たちにとっての第二次世界大戦の終戦がいつだったのか、僕 はしりません。大戦が終わってからすでに60年が経ち、戦争を直に経験した多くの人たちはすでに亡くなってしまっています。いまなお地球のどこかで戦争が 起こっているにもかかわらず、私たちの中で戦争の記憶というものが、少しずつ褪せていってしまっているのではないでしょうか。悲劇を再び起こさないため に、歴史を知り、そこから学ぶことが大事だと人々はいうでしょう。しかし、私たちは十分に歴史を学べたといえるのででしょうか?

私たちが第二次世界大戦について話すとき、アメリカ人は「真珠湾攻撃を忘れるな(Remember Pearl Habor!)と言うでしょう。日本人は「広島・長崎を繰り返すな(No more Hiroshima/Nagasaki!)と言うかもしれません。私が日本にいたころに使っていた教科書は、大戦中に日本軍がアジアで行った蛮行について しっかりとは教えてくれていませんでした。そしておそらく、アメリカで使っている教科書も原爆の悲惨さについてちゃんとは教えていないのではないでしょう か。人々は僕らに違ったことを教え、私たちは違うことを知っていて、そして私たちは互いが何を知っているのか知りません。

歴史に関してしっかりとした共通認識を持たずに、どうして平和を生み出すことができましょうか。

私はこのメールによって、誰かを責めようとしているわけではありません。私たちが歴史の違った認識を持っていることを理解し、共有することが、悲劇を未来に繰り返さないために必要だと心から思うのです。

私はアメリカの学生に、私の日本の先生が襲えてくれなかった真珠湾攻撃について教えてほしいし、もし知りたければ、その代わりに私は原子爆弾の悲 惨さについて話すことができます。この夏(2005年の)私は長崎を訪れ、原爆関連の平和イベントに参加しました。そしてその中で5歳のときに被爆した原 爆被害者に会ってきたのです。もちろん、そのほかの国の人々にも、私たちが知らないことを教えてほしいです。

繰り返しになりますが、私はこのメールを読む誰かを、その人の国の軍隊が戦争中になにをしたかによって糾弾したいわけではありません。私たちが責めることができるのは、自分たちの無関心さだけなのですから。

知らないことは恥ではない、でも大事なことを伝えないことは恥ずべきである、とそう思うのです。

このメールを読んで思うところがあれば、私まで連絡ください。メールでも電話でもかまいません。みんなひとりひとりと話したいです。
********************************

このメールを受けて、何人かの学生が共感のメールがいくつも届きました。アメリカ人の学生や、アジア地域からの学生、そしてアメリカ育ちの日系人の学生からも。

日本にいるとわからないこと、知らないことはたくさんあります。
常識だとおもっていることが、ほかの国ではそうではないのです。
このギャップを埋めていくことは簡単ではないでしょう。
ただ、歴史認識の差異から人々がいがみ合い、憎しみあうことはばかげています。
私たちは過去に振り回されてはいけないし、学ばなければならないのだから。

世界中から戦争や侵略行為がなくなり、本当に戦争が過去の過ちとして「歴史」となる日が、一日も早く訪れることを祈り、そしてそんな世界を作るために自分が一助となれるよう、進んでいこうと思います。

戦争でなくなったたくさんの人々のご冥福と、今なお戦争で苦しむ世界中の人々の安全を祈りつつ

2008年8月15日

田中ジュンヤ

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今日こそNon-violent Direct Action「非暴力直接行動」について文章を書こうと思います。

いろいろな市民社会の活動を見ているうちに、考えがまとまって来たのですが、文章化して人に伝えようとすると骨が折れるため、なかなかできていま せんでした。でも最低でもお二人ほど、読んでみたいといってくれる人がいたのと、サミットが終わって一段落したこともあるので、サミット絡みで感じたこと も含め、書けるだけ書いてみようと思います。

すんごく長いです。比較的長い文章を書く僕としても今まででかなり長い文章です。賛成出来ない人も多いかもしれません。分かりにくい点も多いかもしれません。申し訳ないです。
反論ももちろん歓迎です。自分の意見が100%正しいなんて思っていないので。ただ「会話が成り立たない」人と問答はしたくないので、わかりあうチャンスはくださいね(昔ブログでめっさ意見に文句を言われて、言い逃げ経験があったので)。

あ、せっかくなんで特に意見とかなくても、全部読んでくれた人、「読みきりました!」ってコメントくれたらうれしいです。

では以下より。




「非暴力直接行動」とは何なのか、まず最初に説明する必要があると思います。一番分かりやすい例が「デモ」とか「抗議行動」です。

いくら民主主義の社会とは言え、市民のほとんどは直接の社会の意思決定に関われているわけではありません。市民が自分たちの主張を社会に通した り、政治に反映させるには地元の政治家などの「意思決定者」に働き掛けて、政策などの「ルール」を作り、国会などの「意思決定の場」で検討してもらい、賛 成を得る必要があります。もちろんすべての主張が通るわけではないし、意思決定者に聞いてもらうことすらできていない「市民の声」はたくさんあります。も ちろんこのことは「国・国会・国民」のレベルだけでなく、「大学・理事会・学生」でも「会社・役員会・会社員/消費者」でも同じことです。

こうした声を聞いてもらう手段として用いられるのが「非暴力直接行動」だと思っています。意思決定者が「無視することができない状況」、つまり 「世論」というようなものを作り出すということです。「非暴力」であることの重要性は改めて言うことはないと思います。「暴力的行動」に出てしまえば、 「犯罪」ですから、どんなに主張が正当であっても一瞬にして世論からは離るでしょう。あくまで「非暴力的」であるから意味があるのです。

ただし「非暴力直接行動」=「デモ」「抗議行動」ではありません。デモや抗議行動はあくまで「非暴力直接行動」の一つの手段に過ぎないのです。ほ かにどんなことがあるかといえば、「署名運動」もそうですし、「陳情書」などもその例になるでしょう。僕らが世界青年サミットで行った「提言書づくり」と 「意思決定者との対話の場を作る」ことも大枠では「非暴力直接行動」なんです。

たくさんの人間がその主張に「賛成」しているということを示すことで、今まで聞いてもらっていなかった主張にスポットライトを当てることができるのでしょう。

つまり逆に言えば、その「主張」が何なのかがぼやけていたり、「たくさんの人が賛成している」ということを示すことができなければ、その「非暴力直接行動」は失敗だということです。

そういう意味で先日の洞爺湖サミットへの自称「ピースウォーク」は失敗だと思います。G8サミットに向けて意見のあるたくさんの人が集まりました が、その主張もさまざまな、受け手には「なんの主張なのか」がさっぱりわかりません。しかもマスメディアのよって、すべてが「反G8」の運動を括られてし まいました。

さらにこうした行動は「たくさんの人々が主張に賛成している」ことを示すためのものなのに、マスメディアが作るイメージを見た人や、実際にその行 動を見た人たちから「嫌悪感」や「忌避感」、さらに「違和感」を持たれてしまっては逆に主張を聞いてもらうための「世論」を作るには遠のくでしょう。

そもそも日本においてこの「非暴力直接行動」がなかなかうまくいかないのは、このあたりの「世論作り」がうまくいってないからです。
「デモ」や「抗議行動」にたいしてネガティブなイメージを持っている人間が多く、やればやるほど「大衆」から主張が離れてしまう可能性が大きいのです。
道路などの公の場でスピーカーを持って何かを主張したり、署名を求めている人がいますが、仮に1000人の目に触れて、100人から賛成を得た り、署名を得られたとしても、残りの900人に「嫌悪感」「忌避感」「違和感」を持たれてしまっては、果たして意味があるのでしょうか?本当にその手段は 自分たちの主張を通す上で「適切」「適正」な手段なのでしょうか?

このあたりの熟慮なしに「非暴力直接行動」を行っても、決して成功しないはずです。公の場で「非暴力直接行動」を行うのであれば、たくさんの人の目に触れる分、主張の「イメージダウン」になるリスクを常に考えなければいけないのです。

そもそも公の場での「非暴力直接行動」は本当に自分たちの主張を通すために意味があるのでしょうか?
公の場でそうした行動を行うのは、意思決定者に直接語りかけるわけではありません。多くの市民の目に主張を触れさせることで賛成を得ること、そし てマスメディアに注目されることで新聞の記事やニュースになり、多くの人に知れ渡ることです。それだけでは意思決定者に主張を聞いてもらうことにはならな いはずです。

意思決定者に主張を通すのであれば、
「主張を持つ」→「大衆から支持を得る」→「意思決定者に持ちかける」というプロセスが一般的です。ただし現在多くの非暴力直接行動はそのあたり が混同しています。「多くの人に問題を知ってもらう」ために行っている行動がほとんどです。つまり「支持を得てない」ことをその行動から露呈してしまって いる場合があります。これでは主張が取り入れられる可能性は少ないです。

「問題自体を知っている人が少ないからメディアの目に触れることをして、たくさんの人に知ってもらう」といって公の場で行動する人もいます。考え方としては間違っていないと思います。しかしそれがその問題を知ってもらうために「ベスト」な手段なのでしょうか?
その行動の後に「その主張を意思決定者に聞いてもらう」ためのプロセスをしっかり持っているのでしょうか?多くの人から支持を得ていることを示していても、メディアに載っているだけではそこから政策作りに発展するわけないのです。

その「支持を得ている」という成果をもってどのように意思決定者にアプローチをするのか、その当たりも大事な点だと思います。

ここまで非暴力直接行動について厳しい視点で書きましたが、僕はこの手法を否定するわけではありません。むしろ市民社会、特に日本国民にとっては 重要にして必要な手法であり、もっと奨励されるべきです。ただしいわゆる「アンチ」にたいしてネガティブになりやすい)日本人の精神性(というのは僕の個 人的見解で、間違っているかもしれませんが)を考えると、「そのやり方」と「影響」についてしっかりと考慮し、戦略と勝算をもって行う必要があると言うこ とです。

メディアに載ることを目指すのであれば、「どのようなイメージで載るのか」
署名などの支持を得たいのであれば、時間と場所を考え、「どのような人がそこに往来し、賛成してくれる可能性が高いのか」
そして集まった署名や自分たちの主張は「どのようにして」「どの意思決定者に届けられるのか」
これらのことについてしっかりと検討される必要があります。

書いているうちに自分が思っていたよりもすんごく長くなってしまいましたが、まだちゃんとまとめきれている気がしません。また修正するかもしれないです。

いろいろと厳しい視点で書きましたが、日本人はもっと積極的に行動をしていくべきだと思います。「公の場での行動」は戦略と熟慮が必要だと思いますが、「意思決定者に直接語っていくこと」はもっともっとされていくべきです。

全部読んでくれた方、ありがとうございました。

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カウンター
プロフィール
HN:
Junya Tanaka
性別:
男性
職業:
NGOスタッフ/参加型の場づくり研究・実践家
自己紹介:
青山学院大学の社会人大学院社会情報学研究科ヒューマンイノベーションコースで参加型の場づくり、ワークショップデザイン、ファシリテーションなどについて研究をしながら、震災関連の仕事をしています。

2007年5月南カルフォルニア・オレンジ郡にある4年制教養大学を卒業しました。その後にすぐにイギリスの大学院に行くつもりが、もろもろの事情でいかないことにし、日本に帰国しました。なぜかいまだに日本にいます。人生思ったようにはならないです(笑)
後悔はしていませんが、試行錯誤です。

2011年5月にまたまた転職しました。震災関連の仕事をするためにアメリカ系のNGOで働き始めました。

また休日や平日の夜にはイベントや会議や参加型のプロセスのデザインやコーディネートをやったり、さまざまな研修や会議のお手伝いをしてます。ご関心があればお声掛けください。こういう研修ってふつう結構高いので、学生が参加できる金額でやれたらなと思っています(参加費応相談)
◇参加型ファシリテーション入門編ワークショップ
◇傾聴力ワークショップ
◇アイスブレーキング体験学習ワークショップ
◇開発と気候変動を考える参加型ワークショップ
<現在企画中>
▽発問力ワークショップ
▽ワークショップデザインコース
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